トレンド&テクノロジー / デジタルコンテンツの未来〜温故知新〜
第21回:菊地 蓮(CGアーティスト/スーパーバイザー)
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CGと縁の深い方々にお話をうかがい、デジタルコンテンツの未来を見通していく記事をお届けする本連載。今回はCGエフェクトのスペシャリストとして、スクウェア(現スクウェア・エニックス)のヴィジュアル・ワークスやBlizzard Entertainment、Industrial Light & Magic、WETA DIGITAL LTDなど世界中を飛び回って作品を作り続け、現在はアマゾンウェブサービスで制作環境のクラウド化に関わる菊地蓮さんに登場していただいた。カナダ留学のエピソードから各キャリアでのエピソード、各会社の社風の違い、そしてAIに対する考え方まで多角的にお話を聞いた。
【聞き手:野口光一(東映アニメーション)】
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英語が苦手でもカナダの名門カレッジへチャレンジ
東映アニメーション/野口光一(以下、野口):菊地さんは『ジュラシックパーク』のメインスタッフのアニメーター、スティーヴ・ウィリアムズらを輩出したカナダ・トロントにあるCGの名門シェリダンカレッジのご出身だそうですね。日本ではあまり知られていない学校かと思うのですが、どんなきっかけで目指されたんですか?
菊地 蓮氏(以下、菊地):留学までのキャリアを簡単に話しますと、僕は高校を卒業して最初にTV番組のCGを制作するプロダクションで働いていたんです。その時の上司はとても仕事ができる方だったのですが、実はとても薄給だったということをあるとき知って、このままここで働いていても夢がないなと思って、大学に行こうと思ったんです。そこで、せっかくなら思い切って海外の大学に行こう、でも高校の成績があまり良くなかったのでアメリカのビザが取れなくてどうしようかと思っていたら、親の知り合いの方がちょうどカナダのトロントにいて「すごく良い学校があるから、そこに行けばいいんじゃない?」と薦められて、シェリダンに決めたというわけです。でも当時は英語が全く喋れなくて。
野口:どうされたんですか?
菊地:まずESL(English as a Second Language:英語を母語としない人向けの英語教育プログラム)に入って1年間勉強しました。その後にアートファンダメンタル(基礎)コースに1年間通って、その後でメディアアートというメディア・映像系の学科に2年間行き、最後に大学院相当のコンピュータアニメーションに1年通いました。

野口:どんなカリキュラムで何を教わったんですか?
菊地:アートファンダメンタルは、本当に基礎の基礎でした。シェリダンはクラシカルアニメーションという手描きのアニメーションコースがあるんですけど、そこに入るためには絵がメチャクチャ上手くなければ入れないので、アートファンダメンタルで基礎を学ぶというわけです。僕は早々に絵が描けないと自分で分かったのと、CGの会社で働いていて映像制作のプロセスに詳しかったので、メディアアートに入りました。ここは3年コースなのですが、2年目のときにCGを作っていたところ、先生が推薦してくれてコンピュータアニメーションのデジタルビジュアルエフェクトコースに編入させてもらいました。
野口:コンピュータアニメーションというのはどういった内容ですか?
菊地:1年目はいわゆるコンピュータアニメーションの基礎で、手描きのクラシカルアニメーションを終えた人が1年かけてCGモデリングやアニメーションの基礎を学びます。そして2年目で専門コースに分かれ、デジタルビジュアルエフェクトと、アドバンストキャラクターアニメーションがあります。僕はここに編入してVFXに関する内容を学んでいました。
野口:卒業後の進路はどのように選択されました?
菊地:アメリカで就職したくて就職活動を行なって、いくつかの会社では面接で良いところまで行ったんですけど、ビザの問題でダメでした。まだ税制優遇もなくて今のようにカナダでハリウッド映画がたくさん作られる時代ではなく、トロントにもCGの会社はいくつかあったんですけど、ここで無理してカナダで就職するよりも、日本に戻って著名な会社に行った方が将来的に有利かなと思って。ちょうどスクウェアがホノルルで作った映画と『ファイナルファンタジーX』(2001年)を出した頃で、これはスゴいなと思って願書とポートフォリオを出したところ、採用していただけることになりました。

野口:配属部署はどちらに?
菊地:ヴィジュアルワークス部でした。そこで最初はクロスとヘアのシミュレーションチームにアサインされました。やっぱりキャラクターセットアップって皆があまりやりたがらないから、テクニカルに抵抗のない人は一度シミュレーションをさせてみるという伝統があるんです。それで『ファイナルファンタジー XII』(2006年)で旗や髪を動かしたりシミュレーション用のセットアップをしたりしていたのですが、半年くらいでエフェクトチームに異動し、そこで当時のエフェクトスーパーバイザーである田中孝司さんの下について勉強をしていきました。
野口:エフェクトはMayaですか?
菊地:はい。Mayaの中のパーティクルシステムです。田中さんはスクウェア・ホノルルスタジオにいた人で、煙も炎も全部パーティクルで作っていた方なんです。時代的には3ds MaxのプラグインのAfterBurnがちょっと出てきたぐらいの頃で、Fumeが1.0になるかならないかぐらい。ハリウッドの大手スタジオでは自社開発したツールを使うとか、スキャンラインVFXがFlowlineで水を作り始めたような時代でした。いわゆるCFD(Computational Fluid Dynamics)で作るという発想はまだあまり現実的ではなかったんです。そんな時期にMayaのエクスプレッションで、それらしい挙動をいかに作るかとか、スプライトの重ね合わせでリアルな煙をどうやって作るかを追求していました。
Blizzardの社風とキャリアアップ
野口:その後、Blizzard Entertainment に転職されましたが、どのように就活されたのでしょうか?
菊地:スクウェア・エニックスにBlizzardから転職してきたモデラーがいて、僕は英語が喋れるから仲良くなって、彼が帰国する際に「良いタイミングがあったら呼んでよ」と、お願いしておいたんです。
野口:Blizzardのツールは3ds Maxでしたよね?
菊地:そうです。Maxを使うジェネラリスト集団だったのですが、その頃から分業化が進んだんです。そこでエフェクトチームを新しく作るから「今がチャンスだよ」と言われ、その翌週に呼ばれていないのにもかかわらずアメリカに行って、リールを見せて面接をしてもらって、そこで就職が決まりました。
野口:大胆な行動ですね(笑)。
菊地:今にして思うとね(笑)。ただ、就労ビザには苦労しました。いきなりO-1を取ろうとしたので、方々に推薦のお願いをして回ってそれに1年かかり、半年後には仕事も辞めてしまったので、その間はフリーランスとして実写版の『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』(2008年)のVFX仕事をしていました。

野口:そしてBlizzardに入った時はもうMayaになってた。
菊地:はい。僕の後に1人入って、2人でエフェクトチームの立ち上げをして、そこから2ヶ月ぐらいしたら、インターンで韓国出身の人が入ってきました。彼はHoudiniが使える優秀な人物でした。今ではピクサーのプリンシパルアーティストでセットドレスとかをやっています。
野口:菊地さんはそこでどんな仕事を?
菊地:最初に放り込まれたのが、 『ワールド・オブ・ウォークラフト:リッチキングの怒り』(2010年リリース。オンラインゲーム内のシネマティックムービー)の現場でした。制作が佳境のタイミングだったので、いきなり週に100時間ぐらい働かされて、ほぼ泊まり込み。当時は時給で残業代が出てカリフォルニアの場合は1.5倍で、60時間を超えると2倍。最初に受け取った給料は、当初想定された額面の4倍くらいでした。それも1ヶ月くらいで終わって、次の月から元通りになってアレっ?って(笑)。
野口:その頃のアメリカでも繁忙期の時はみんなで一気に泊まりながら作るんですね。
菊地:そうですね。さすがに泊まりながら作ったのは2〜3プロジェクトで、平常化していきました。仕事としてはその頃が一番楽しかったですね。Mayaのパイプラインも何もなかったので、自分たちでパイプラインを作れたりして。当時はRhythm & HuesとかDigital Domain、Sony Pictures Imageworks(以下、SPI)から大勢やってきて、皆が元々の会社の流儀を出してそれを擦り合わせながら自分達の環境にフィットするパイプラインを作っていくんです。そのど真ん中にいてデータフローをどうやって作るかを構築していきました。他の会社から来たエフェクトアーティストはみんなメインツールがHoudiniだったので、そこで自分も勉強しなきゃと思って使い始めたんです。
野口:どうやって勉強されたんですか?
菊地:とりあえず何を作りたいかを決めてネットで検索して、分からなかったら僕の場合は経験者が周りにいたので、その人達に聞いたりしていました。それでHoudiniを覚えていくと、エフェクトはやっぱりHoudiniが便利だと思うようになって、1年後くらいには100%Houdiniを使うようになっていましたね。そこでHoudiniからどうやってデータをMayaに移すかとか、その逆をするといった設計をTDと遣り取りをして構築していきました。
野口:モデリングとかアニメーションはMayaでやって、エフェクトはHoudini。
菊地:はい。コンポジットは全部Nukeでした。
野口:その時は何人ぐらいいたんですか?
菊地:僕が入った時がシネマティクスチーム全体で40人ぐらいで、6年後に辞めた時は120~130人くらいでした。日本人も多くて、プロデューサー、モデラー、アニメーター、ライティングがそれぞれ1人、エフェクトは自分も入れて2人いました。あとは契約社員としてちょこちょこ入ってきたり。SAFEHOUSEの鈴木卓矢くんは僕とほぼ同時期ぐらいにスクエニからBlizzardに移ったので、スクエニ時代からトータルでは11年くらい一緒に仕事をしていましたね。

野口:仕事のスタイルについて伺いたいです。日本のスタジオとアメリカのスタジオで何か大きな違いはありましたか?
菊地:正直に言うと、スクウェアのヴィジュアルワークスとBlizzardで比較するとそこまで大きな違いはありませんでしたね。Blizzardも成り立ちは映画ではなくゲームムービーの会社なので、良い意味で独立心が強いというか、「自分たちで作ろうぜ」みたいな自由な感じがありました。自分でパイプライン作ったり、データフロー考えたり設計したりしたのは、やっぱりゲーム会社で、しかも小さかったから。そこはラッキーだったと思います。
野口:朝は8時ぐらいに行ってました?
菊地:定時はなかったんで、大体10時ぐらいに行っていましたね。 早い時は6~7時ぐらい。
野口:私が海外で働いていた頃は、夜にフィルム現像に出して朝に戻ってきて、そこでチェックとデイリーの指示があるから、8時出社がルーティーンだったんです。
菊地:そうだったんですね。僕がいた頃はもうフルデジタルワークフローになっていたので、デイリーはやっていましたけど、会社によって違っていて夕方の時もありました。Blizzardのディレクターって、人によっては朝のサーフィン後に出社してくるんですよ(笑)。僕も一時期は5時ぐらいに起きてサーフィンに行って、一回帰ってシャワー浴びたら会社行ったりしていました。楽しかったです。
念願のILMでの充足感と、さらなるステップアップ
野口:Blizzardの後はどんなキャリアを積まれたんですか?
菊地:ゲームムービーってどうしてもゲームがメインでムービーはサブだったのでメインで、かつ子供向けの映画をやってみたいと思ったのが一つ。もう一つはBlizzardがあまりにも居心地が良すぎたから。年齢的にも30代半ばで技術も付いて、今辞めて次に行かないと一生Blizzardを辞められなくなってしまうと思って。それでマーザ・アニメーションプラネットで『ロボドッグ』を制作していたので、移籍することにしました。そうしたら9ヶ月後にプロジェクトがキャンセルされてしまい、辞めることになりました。当時マーザで同僚だったクリス(クリストフ・ロド:現メガリス代表取締役)が、マーザに来る前にILMのシンガポールで働いていたので、彼経由でサンフランシスコのILMを紹介してもらいました。当時、結婚した直後で、3ヶ月契約の単身赴任でしたが、プロジェクトが延びてしまって、結果的に6ヶ月くらい働いていました。
野口:そのときはどんな作品に携わったんですか?
菊地:『ウォークラフト』(2016年)です。これが巡り合わせで、実際にプロジェクトに入ってみると作品のBlizzard側の窓口は僕の元上司だったんです。「こんなところで!」みたいな感じで、スムーズにことを進めることができました。

野口:その時はもうHoudini?
菊地:はい。HoudiniとILM社内用のエフェクトツールのZenoの両方を使っていました。基本的にHoudiniで、レンダーかける時とか、フルイドのシミュレーションが上手く行かなかったときはZenoを使うようにしていました。
野口:『ウォークラフト』が終わったあとはどうされたんですか?
菊地:僕はILMで『スター・ウォーズ』をやりたかったんです。ちょうどエピソード7が終わって8に入る前で、そのときに「どうする?」と聞かれたんですけど、当時はエピソード8はロンドンで作ることになっていて、家族で移住するのは厳しかったので、契約を終えて帰国しました。実際に作ることはできなかったけど、そのオファーをもらえたこと自体、つまりそこまでの実力をつけられたことに満たされてしまったんです。ILMにいたのは半年という短い期間でしたけど、自分にとってはとても大きな転機だったと感じています。そこから、最終的には日本で働こうと思っているけど、ILMの後Wetaに行ったら箔が付くんじゃないかなと思って、ダメ元で応募しました。そうしたら、ちょうどタイミングが良かったんでしょうね。「今だったらいいよ」と言われ、6ヶ月の契約で――実際には延長して1年間ニュージーランドへ行ってきました。
野口:奥さんには「帰ってくるっていったのに」と言われたでしょう(笑)。
菊地:めちゃめちゃ言われました(笑)。「でもこの仕事は自分達の将来にとって、絶対良いことになるから」と必死で説得しました。Wetaはワークライフバランスも良くて、契約終了前には2年の契約延長を出して引き止めてくれました。結局またもや移住がネックになって帰国することになるんですけど。
野口:Wetaではどんな作品に携わったんですか?
菊地:『BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』(2016年)と『インデペンデンス・デイ: リサージェンス』(2016年)、それと『ジャングル・ブック』(2016年)を少し手伝いました。
野口:その時はHoudiniで?
菊地:はい。すべてHoudiniです。Wetaの時はエフェクトもやったし、TD的なこともやっていました。ManukaというWetaの自社開発のレンダラー上で使うボリュームシェーダーの最適化などをやっていました。
野口:ILMの人は結構Wetaに行っていたかと思いますが、働き方は違うみたいですね。
菊地:そうですね。国も違うし、会社としてのフィロソフィーが全然違いますね。ILMは技術もすごいですが、やっぱり画作りの会社なんですよね。だからジェネラリストを大勢雇って、 最終的に画が格好良ければOK。でもWetaはテクノロジードリブンな感じで、物理的な正しさにすごく執着をします。正しい面に正しいライトを当てれば、正しい結果が出るという思想です。だから勝手にコンポで色をいじったり絵を変えることは許されません。ILM出身でWETAの技術を取り仕切っていたジョー・レッテリが違うアプローチでやろうとした感じがあったのかもしれません。
野口:だからレンダラーもフィジカルベースのものになっている。
菊地:そうなんです。物理的な正しさを追い求めようとする姿勢は当時のWetaにはハッキリとありました。Wetaのライティングってすごく面白くて。物理的なライトを置いてディフーザーとか反射板とかを噛ませて、実際にライトのシミュレーションを行なうんです。僕も見た時は「なるほど」と思いました。

野口:それ専用のソフトがあるということですか?
菊地:Mayaの中にそういう機能を追加していたみたいですね。最初に誰かがベースを作って、そこから詰めていくんですけど、ベースライトは変えずに、それに対してシーンを作っていくことをしていました。
野口:そして、Wetaでの1年間を終えて日本に帰国されたわけですね?
菊地:はい。日本に帰って、特に何をするか決めていなかったのですが、スクエニ時代の上司から連絡をもらってANIMAに行ってエフェクトのスーパーバイザーをしてほしいという話が舞い込んできました。その作品が『KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV』です。その仕事でANIMAで働かせてもらった際に、TONKOHOUSEの堤大介さんが『ダム・キーパー』の長編を日本のスタジオで作ろうとしているという話を聞きました。ANIMAは当時、TONKOHOUSEと業務提携をしていたので、その流れの中でパイプラインの整備と、当時は存在していなかったエフェクトチームの組成をしたいということで、スクエニのプロジェクトが終了してしばらくした後に、ANIMAで働かせて頂くことになりました。入社した後はそれらと並行して、『オルタード・カーボン』(2018年)とか、『モンスターストライクTHE MOVIE ルシファー 絶望の夜明け』(2020年)などの実際の作品にも関わっていました。どの作品も作っていてすごく楽しかったし、日本的な制作環境に入り込んで作品に取り組めたことは、自分にとってすごくプラスになりました。その後、縁があってNetflixからVFXマネージャーとして声をかけて頂いたので、転職することにしました。
CGアーティストがAmazonに入社して携わる仕事とは?
野口:その後、現在のAmazon Web Services(AWS)に行ったんですよね。
菊地:そうです。 僕の仕事はビジュアルコンピュートといって、コンピューターを使ってビジュアライゼーションする領域が全部担当になります。そこにどうやってクラウドを浸透させるかといった事業戦略を作ったり、最近はフィジカルAIとかを扱ったりしています。AIで実世界をシミュレーションさせて、それによっていろんなものを出していく。
野口:ロボットのようなものですか?
菊地:ロボットが物を掴んだりするのをAIで制御するのもフィジカルAIです。例えば、ロボットアームで物を持ち上げる時にどれぐらいの力が必要なのか、そのためにはどれくらいの強度や可動範囲が必要かなどを全部、仮想空間上でシミュレーションします。Houdiniを使った物理シミュレーションとかにも非常に近いですね。
野口:地球丸ごとシミュレーションするような取り組みですか?
菊地:そうです。 究極的にはそこの世界ですね。 例えばこういう環境を全部再現して、その中でいろんなテストができれば、実際の世界に持ってくる時のギャップがなくなる。

野口:そのAIのエンジンは外のものを使うんですか?
菊地:そうです。Amazonも自前のファウンデーションモデルを持ってはいますが、使うモデルは必要に応じて柔軟に切り替えられます。僕らの強みはそういうのを走らせるためのインフラです。
野口:まずは半導体があって、インフラとしてクラウドを持ってないとダメで、その次にやっとプラットフォームがあって、AIがあると。
菊地:そうなんです。もちろんフィジカルAIの実現にはいろんなレイヤーがあるんですが、僕らはインフラを中心としてパートナーと連携しながら、それらのレイヤーに包括的に取り組んでいます。あと、面白いのが自動運転。実用化に向けては様々なシチュエーションを学習させる必要があるのですが、実際にそういう状況を再現して車を実走させるのは難しい。そこでCGで環境を再現して学習させれば、どんどんプロシージャルに学習が進むというわけです。ILMとかピクサーにいたようなエッジな人たちが大量にそっち方面の会社に流れたりしています。
野口:研究者がそっちに行くという話はよく聞いていました。
菊地:今やシミュレーション用のモデルのプロシージャル生成をHoudiniを使って自動化するために、Houdiniのアーティストも大量に移っていますね。
野口:個人的な意見で結構ですのでAIについて聞かせて下さい。今後、AIが発達してツールとして使わざるを得なくなると思いますが、それについてどのように考えていますか?
菊地:う〜ん、なんとも言えないですね。 やっぱりプロダクションで使うには、超えなければいけないハードルがだいぶ高いと思っています。ある日突然、AIで作った映画が世界にあふれるという状況にはならないと僕は思います。AIの使い方は必ずしも画面づくりに限らず、プロダクションの効率化とかプリプロとかもっとリスクが少なくてメリットが出しやすいところでの活用が今は進んでいます。皆さん言っていますが、やっぱりどこまで行っても補助ツールだと思うので、人間のクリエイティビティを代替するものではないと思います。僕の中ではツールという意味でHoudiniとあまり変わりはありません。これまでもテープがデジタル化された時にテープオペレーターがいなくなったり、リニア編集や現像の仕事もなくなったりしてきたように、マスク切りのような単純労働はどんどんなくなっていくぶん、逆に人間はよりクリエイティブなことに集中できるようになっていく。僕はそう思っているし、そうであってほしいなと思っています。それとは別に著作権や学習モデルの問題はクリアにならなければいけない問題だとも認識しています。
野口:最後の質問なんですけど、やっぱり作品作りたいと思うことはありますか?
菊地:すごく思うんですけど、一方で僕はクリエイターではないなとも感じるんです。僕の中でクリエイターという人種は2種類あって、0を1にできる人と、1を10にするのが得意な人。僕はどちらかと言えば後者なんです。過程を効率化するのは得意だし、実績もあると思いますが、前者のように無から有を生み出す才能はない。それこそAWSの仕事も、これを使って才能ある人々が良いものを生み出してくれと願うことが、今の仕事に対するモチベーションになっているんですよ。でも、あと2〜3年もしたらやっぱり「何か作りたい」と言ってるかもしれませんけどね(笑)。

菊地 蓮
きくち れん:Creative Technology Specialist
カナダの大学を卒業後、映像・CG業界で25年以上にわたり、アーティスト、テクニカルディレクター、スーパーバイザーとして映像制作の現場に携わる。Square Enix、Blizzard、ILM、Weta Digitalなどでゲームや映画制作を経験した後、Netflix JapanでVFXを担当。現在はAWSでVisual ComputeのGTM Specialistとして日本を含むアジア太平洋地域を担当し、映像・ゲーム・クリエイティブ業界におけるクラウド制作や生成AIなど、新しいテクノロジーの導入を推進している。
Supported by Enhanced Endorphin
INTERVIEWER :野口光一(東映アニメーション)
EDIT :日詰明嘉
PHOTO :弘田充
LOCATION :東映アニメーション