――現代の映像作りって、かなりデジタルになっていますよね。一方で樋口さんは、ある意味アナログの手法からスタートされています。それぞれ長所短所はあるでしょうが、今後何か思い描いているものはありますか?
今後重視されるのは「見せ方」だと思います。「作り方」は大体飽和してると思うんですよ。あとはもう、ビット数が上がるとか、解像度が上がるとか、そういうことじゃないですか。それよりも、どれだけ早くそれを相手に届けるか。上映だけじゃなくて配信という方法もありますが、今後誰かが伝達方法を発明するんじゃないかなと思っています。YouTubeやUstreamでもなくて、もっとハイエンドなものを。
――テレビ局がそういうものを作れたら、テレビの起死回生になるでしょうね。
そういうのって、音楽の分野は映像に比べて進んでるんですよね。扱うデータが小さいからなのかな、と考えていますが。一方で、アナログ回帰もあると思います。全てがアナログに戻ることはないですけど、レイヤーのどこかの部分はアナログにした方がいいとか。
デジタルカメラが主流になればなるほど、古いレンズの人気がすごいことになってるらしいんですよね。日本のテレビ局が放出した、昔のでかいマウントのレンズを今、アメリカの連中が買い漁っているそうで。REDのカメラとかにくっつけて撮るらしいですよ。記録するものはいかに進歩したとしても、レンズは二度と作れないものがいっぱいあるんですよね。今同じレンズを作ろうと思ったら、ものすごいコストになっちゃうとか。重たくて使い物にならないとか、そういったものを無理やり向こうの連中は使ってしまう。
映像の場合はレンズで、音楽の場合はマイクだそうです。生音を、真空管式のような古いもので録るらしい。ノイズはデジタルで後から消す。消した後に残る音がやわらかくて、すごくキレイなんだそうです。アナログ工程一つ入れるだけでぜんぜん違うそうなんですよ。
――樋口さんは、その豊富なご経験からコンテストの審査員もされていますが、応募作品を観る時に注目するのはどこですか。
CGの質感表現はどんどん上がってるわけで、テクニカルな良さというのは、実は「こんなに技術が進歩しました」っていうことだと思うんです。去年より良いけど、来年は絶対更新される要素ってありますよね。そういう道を選ぶべきなのか、それとも技術的には劣ってるけど妙に心に残るものを選ぶのか。ハイエンド傾向になればなるほど、難しくなってくる。毎年技術革新を見せつけるような常連も大好きなんですけど、突然応募してきて、拙いながらも心に残ることをやっている方に、俺は不意打ちのように心を動かされちゃう。
でも、それも実はCGコンテストとして良いのかどうか、わからないですよね。その良さは根幹の部分であって、CGの部分じゃないんだもん。その見極めって毎回難しいんです。両方揃っているのが一番良いと思うんですけどね。それならそうで、へそ曲がりな審査員が絶対一人はいて、「可愛げがない」とか言って落とそうとするんですよ。
あと、日本って「これじゃまだまだ、俺は応募できない」みたいに思っちゃう人がいるじゃないですか。「応募しても恥かくだけだし、無駄だから出したくない」って。しかも、その高い理想っていうのは、永遠に届かない理想なんじゃないかと、最近の若い奴を見ると感じるんです。昔だったら、「俺、ここまで出来たらすげぇ。」となるけど、今は世の中がすごいもので溢れてて、実はそれって、自分にも出来るんじゃないかって勘違いできる「余白」を無くしていると思うんです。
今はハイエンド志向になって、アメリカの作品もすごいし、日本のゲームもすごい。それと同じものがパソコンを買えば作れるかといったらもはや無理なんじゃないかと。あれを作りたいと思った子は可哀想だなって思います。例えば山村浩二さんのような手描きアニメーションという方向性だったら、個人レベルでも頑張れば作れる可能性はある。だけど、「トランスフォーマー作りたい」となると話が変わってくる。
――確かに、そのジャンルでコンテストの上位に食い込むには、腕の立つ人が何人かで作らないと難しいかもしれません。
でもね、一から十まで全部作り込む必要は無いんです。そう考えたきっかけは、4~5年前に、広島かどこかの素人さんがYouTubeにUPした映像でした。岩国か何かの米軍の基地祭を手持ちのカメラでずっと撮っていて、背景に絶対いるはずのないような、3Dのオブジェクトがあるんです。マッチムーブで、ず~っといるんです。次から次へと、落ちも何も無くて、ずっと同じものが続きます。構成力もヘッタクレもないですけど、凄いですよ。
あれを観た時に、全部を作り込まなくてもいいんだと思いました。『第9地区』を撮った監督が最初に作った、南アフリカでの短編映画もそうだし。ウルグアイのアマチュアが作ったロボット作品もそうだし。背景実写のマッチムーブで、そこに3DCGのオブジェクトをどうやってコンポジットするかということだったら、実は個人でも出来るわけじゃないですか。
――ご存知の通り、DigiCon6は若いクリエイターの発掘と育成を目的としたコンテストで、今はアジア10地域まで募集範囲が広り、毎年2000作品以上の応募があります。その応募者に向けてメッセージをお願いします。
例えば、映画のプロジェクトですとベテランさんから若い方までいらっしゃいますが、現場で働く中で、最近の20代半ば位までの若者の長所や短所など、何か思われることはありますか。
う~ん、世代じゃ括れないですね。若くてもすごい奴はすごい。それは俺らの頃からそうだし、俺らより上の世代もそうだし。頑張ってもダメな奴はダメで、頑張り方を間違えてる奴は間違えてるってことじゃないかな。今も昔も。
とにかく、作品を見ていて一番腹が立つのは、「諦めてるのが丸見え」の作品を見た時なんです。自分の能力とか関係なく、「出来た作品をどこまで自分が好きか」ってことが大事なんじゃないかと思います。作品と自分なら、作品の方を好きでなきゃいけないのに、そうでない...自分が好きなのが見えてしまう。本当にスゴイ作品って、作者よりもスゴイわけです。どんな人がこの作品を作ったのかワクワクしながら授賞式で会うと、作者本人は意外とつまんなくてガッカリすることがあるんですよ。本人はもう抜け殻になってて、人としての魅力が全部作品に吸い取られてるんですね。そうやって作られた作品を観ると、ツライ審査が浮かばれるというか、発見した喜びがあります。どんなに本人がつまらなくても(笑)
だから、みんな多分レンダリング待ちとかの最中にネットに繋いでこの記事を読むと思うんですが、次の上がりを観て、それで諦めるなよ、と読者の皆さんに言いたいです。時間が無いからコレでいいや、とは思わないでほしい。「本当にいいのか!? それで!」と疑って欲しい。
作業していて、もう眠いから寝ちゃえじゃなくて、自分の生理現象よりも作品を優先して考えてあげないと。あなたが親なんだから、みたいなことですよね。
――世代というよりは、クリエイターとしてモチベーションを持っているかどうかですね。
特に、制作は共同作業より一人仕事が多いじゃないですか。一人だと甘えが出る。みんながいると格好つけたり牽制しあったりして、もう一回やろうとなるけど、一人だと自分に甘くなるんですよね。俺もあるんですよ。だからなるべく外の空気を入れようと意識してるんですけど。
――籠っていないで、外の色々な人と交流しようということですか。
いや、もっと誰もついていけないぐらい籠るのが良いと思うんですよね。籠れないんだったら、むしろ外に出ちゃった方が良いよと思う。中途半端は良くないですね。
あと、やっぱりテクニカルな話として、上手い奴と下手な奴っています。本当にダメな奴って、なんとなくカメラを置いてしまうんです。なぜここにカメラを置いたのかという理由も無く、そのまま作品作っちゃうのはダメ。昔は「ここにカメラ入りたい」と思っても、物的法則が邪魔していて自由が無かった。それを飛躍できる唯一の方法がCGだけど、それだってフォトリアルな表現を獲得するまでに20年かけて試行錯誤してきたわけです。今は贅沢なことに、そういう積み重ねをふっ飛ばして全部出来るじゃないですか。いきなりフォトリアルが手に入るのに、なんとなくカメラを置くな、と思う。
今まで観てきて良いと思った作品は全てのアングル、全ての挙動、全ての編集点に意図か理由のどっちかがあるんです。それをまず汲んだ方が良いでしょうね。「なんとなく置いちゃう人」は多いです。これを作りたいっていう意図が全ての局面において希薄なんですよ。良いものをたくさん観てる世代だと思うんですけど。
――良いものを観ているはずですし、ツールは良くなっていますが、良くなっているが故の落とし穴があるのでしょうか。
そうなんですよ。ゴールにすぐ辿り着けるから、一つひとつの段階に対して精査や推敲をしていないというか。例えば俺は絵が下手なんですけど、絵コンテを描かないと自分の中で考えが整理できなくて、そこから考えるんです。絵が上手な人は、スッと描いたらOKっていうか、決まった絵になるわけです。でもそれが不幸なのかなと思って。変な話ですが、俺は絵が下手でよかったと思うんですよね。
でも実は最近、意図的に「なんとなく置いちゃった画」を撮ってみたいんですよ。いかにも映画のカメラマンが撮ったようなキメキメの画ではなくて、携帯のカメラで撮ったような画にしたいとか。構図が決まっていないところから、一生懸命追いかけるとか。そういったものがリアリティなんじゃないかなと思うこともあります。
例えば、突然何かが起こるシーンって、予測できちゃいけないんです。待ち構えていたら、何も面白くない。手前で全く違う画を撮っていたら、そこにいきなり入ってくる方が驚くじゃないですか。それは「なんとなく風味」なんだけど、意図があります。本当になんとなく撮りました、っていうのとは違います。そういうのに惹かれます。
――若くても将来有望な人はいると思いますが、その中でも、「活きのいい奴」とか「センスあるなぁ」とか、例えば「抜かれるかも」と感じるような人に出会うことはありますか。
それを言ったら、若い年齢でやってる時点で、自分は既に追い抜かれてるわけですよ。むしろこっちが近づかないと。ただ俺も若手に追い抜かれるとか、そういう心配をした時期もあったけど、年齢が違うから大丈夫なんですよ。同い年だったら嫉妬すると思うんですけどね。でもそうじゃないから、悪いけど俺はもうそこは、やり終えてるんですよ。だから、やりたいことが上手くいかなければ、むしろそれを応援してあげたいです。だって俺は何周も先に行っちゃってるんで。負けるわけもないし、勝てるわけもないんですよ。作れるものが違うんです。
野球の試合だったら同じルールの中で戦わなきゃいけないけど、ルールが全然違うから。そうじゃなくても、若くて力のある人が現れたら、俺は純粋に成功を応援したい。面白い映画を一本でも観られればいいんです。そういう作品が無いから自分で作るわけで、自分で何回作っても上手くいかないなら、誰かが上手く作ってくれる方が良いに決まってますよ。俺を楽にさせてくれ〜!!みたいな。
――日本人に限らず、アジアの若者から色々な才能が出てくるのは、同じクリエイターとしては、「脅威」と言うよりは「楽しみ」ですか。
本当に楽しみです。だから、楽しみの大きさと同じくらい、つまらないものを観たときはガッカリするんですよ。でも、その中にも必ず一本か二本、「ああ!今回来てよかった!」って思う作品があります。宝物を見つけたような感動があるから、審査の仕事はやめられないですよね。「誰よりも先に見つけた。あれ見つけたの俺なんだ」みたいな。そういう作品と出会うと嬉しいですよね。
具体的にそういう作者とコンタクトをとって、「今度一緒に仕事しようよ」という気持ちになりますよ。「ちょっとやってみる?」みたいな感じで名刺渡して、「いつでも連絡しなさい」って。偉そうな先輩面してね(笑)。
――DigiCon6でも現在、審査員の方とクリエイターとの繋がりを強化する方向で進めています。来年は第15回の記念大会ですし。
懇親会とかあると、「お前、終わっても帰るなよ。誰が賞をあげたと思ってるんだ」みたいな感じで絡んで、そのまま飲みに行ったり(笑)。それで、「何がやりたいのか」「どういうものが好きなのか」というのを聞いて、いじり倒すのが楽しいですよね。そういうのは刺激になります。100%同じ道を志してるわけじゃないけど、同じようなことに希望を持って取り組んでいる人がいるのは嬉しいですよ。
聞き手: TBS Digicon6 川鍋 昌彦(かわなべ まさひこ)
執筆:フリーライター 蓬莱 早苗(ほうらい さなえ)
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