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  • Autodesk×Digicon6 コラボ企画 Top Creator's Eye ~CG業界のフロンティア達の視点~ 『のぼうの城』樋口 真嗣 監督 インタビュー
Top Creator's Eye

Top Creator's Eye は TBS Digicon6 とオートデスクのコラボレーション企画で2012年夏に3ヵ月にわたり連載。業界の著名人から若いクリエイターに向けて熱いメッセージをいただきました。限定公開でしたが、この度一般公開となりました。見逃した方は、ぜひご一読ください。

特撮映画からキャリアをスタートし、ガイナックスの創始メンバーとしてアニメ制作等を経験。映画監督としては、『ローレライ』『日本沈没』など数々の邦画大作を手掛けてきた樋口 真嗣 氏。今年の秋には、歴史小説を原作に犬童 一心 氏との共同監督で制作した『のぼうの城』が公開予定だ。

アナログからデジタルへと映像が変革を遂げる時代を、第一線で牽引し続けてきた樋口監督に話を聞いた。

スペシャルインタビュー 映画監督 樋口 真嗣 前編

――樋口さんは特撮の造形からCGまで幅広い表現手法をお持ちですね。

もともと普通の映画の特撮とか、アナログなことから出発しました。でも昔は、やりたくても技術的な制約で出来ないことが多かったんです。更に仕事として「何日までに納品しなければならない」から諦めたり。
それは日本のインフラだからできないって事ばかりだったんですよ。 で、もしかしたらコンピュータを使えば解決するんじゃないかと思って。当時、アメリカもCGをやっていたけど、俺らには高嶺の花でした。専門の会社に頼むのではなく、自分たちでやれば安くできるんじゃないかと考えて、タイトルだけ少しCGで作ったりしました。そうやって風向きを読める仲間が他にも何人かいて、それぞれが自分なりに独学で学んでいきました。最初はみんな自腹で学んだんですよ。ヘタしたら車買えるくらいの値段です。新車買うのを諦めて、代わりにコンピュータを買う時代でした。あの当時デジタルは、やりたいことができる取っ掛かりになるんじゃないかと本能的に動いていたんですね。

――ガイナックス参加以降の、樋口監督の担当された仕事の経緯を教えてください。

最初は特撮の現場仕事をしたんですけど、自分の限界や理想とのギャップもあって。1回入ったけど抜けちゃいました。その後は大阪で自主制作映画をやってる連中と一緒に、一年半くらい自主制作を撮り、並行してアニメも作っているグループでした。18~19歳の頃ですね。

そのうちアニメの方が評価されて、その連中がガイナックスって会社をやることになりました。俺、特撮をやりたくて大阪へ行ったのに、仲間が全員東京に出ちゃうなら、残る理由が全く無いし行く所も無い。しょうが無いから一緒に東京へ行った。で、そのままなし崩し的にアニメの仕事をするようになったんです。

そこでは助監督的なことをやっていましたが、ガイナックスが第一作目の『オネアミスの翼』っていう映画を制作し終わったところで、解散の話が出てきたんですよ。
『オネアミスの翼』のために作った会社だけど、会社を残すために安くてもいいから、と企画を立てるようになりました。上の人間はプライドもあるんで、俺のところに話が回ってきたんです。周りはみんな絵描きとしてクオリティの高いものが欲しいって言うけれども、俺は絵描きじゃないんで、どのくらい嫌なことか、よくわかっていませんでした。でも段々と思い通りにいかないことが見えてきて。ひどい画でもそのまま通さなきゃいけない製作体制とか。そういう不満が出てきた頃、昔実写の特撮をやってた連中から声がかかりました。

こどもの頃から尊敬していた監督が10年間ぶりに映画を撮るから、絵コンテのオーディションを受けないかと誘われて、それが通ったんで映画へ戻ったんです。
それで、映画に戻る前、ガイナックスではアニメ『トップをねらえ!』を監督する予定があって。でも、なかなか進まないので、そのまま会社を出たんですけど、その後、その台本を庵野秀明が読んで、彼が監督をやりたいという話になりました。そして、庵野に手伝うように頼まれて、引き受けました。庵野秀明の最初のアニメとなった、ビデオ用の6本シリーズです。監督は庵野がやって、俺がその手伝いをずっとやっていました。

――『オネアミスの翼』の次の、2つ目の企画が『トップをねらえ!』だったのですか?

はい。2つ目の企画は、何本か走っていました。士郎正宗さんの『アップルシード』は、後にも映画化されるんですけど、その最初のアニメ化もラインナップの一つにあって。当時は安く作ろうとしてました。「トップ」もそのラインナップだったんです。

――低コストが低コストでなくなってしまったのは、制作期間の長さが原因でしょうか?

いや、監督がやる気になって現場も応えるように頑張って、それを誰もコントロールできなかったからでしょう。でも当時二十歳くらいだった俺は、プロデューサーにとってはコントロールしやすかった。俺もそれを薄々感じてくるわけですよ、嫌だな、これって。会社の赤字を補填するために、作画を外注に出して、ものすごく割り切った作りをしなければならない。なんでもそうですけど、そういう作り方をするところと、そうでないところがあって。で、こっちの企画がもたついている間に、「アップルシード」が先に出来上がっちゃいました。その作品を観た時、俺ならこれを自分の監督したものとして、我慢出来ないって生意気にも思っちゃったんですよね、その時。

――92年にGONZOで活動されるまでに期間がありますが、それまではガイナックスに在籍されていたのですか。

ガイナックスも『帝都物語』をやる時点で一回辞めてるんです。で、フリーの契約スタッフとして戻って。しばらく二毛作状態でした。アニメで仕事があるときはアニメをやって、特撮の仕事で声をかけられたらそっちをやる。それを半々くらいで行ったり来たりしていました。

GONZO設立は92年です。その時は4人だけの会社で、最初は法人としても登録してなくて。でも、プロデューサーとしてお金を回すために法人で経営したかった村濱という社長の考えがあって、彼は何人かで会社をやりたいという思惑があり、一方、フリーになって家で仕事するよりは、ちゃんと机とコピー機があるところで仕事をしたいという、他の4人ぐらいの思惑が合致して、始まりました。最初は4人で作画までやるのではなくて、企画のまとめというか、デザインとプロデュースみたいな仕事をしていました。

――商業的な規模が大きかった、最初の監督作品は何ですか。

24才の時、フリーだった俺が香港映画に呼ばれて、それが最初の特撮監督でした。最初に俺を監督として呼んでくれたのは、日本人ではなかったんです。

香港にゴールデンハーベストという会社があって、そこのプロデューサーに呼ばれました。その前の年に、フジテレビと香港の合作映画『孔雀王』にスタッフとして参加していたことで面識があったんです。「潤沢な資金でSF映画をやるから来ないか?」と言われて。日本では1日だけ公開されましたね。

樋口 真嗣 氏

『老猫』(1992年公開)というタイトルなんですが、制作途中では色々なトラブルがありました。まず自分が参加した時は既に監督がいたんですけど、その監督がクランクインして3日目、撮影中のアクシデントでクビになっちゃって。準備していたセットはそのまま。続きを誰かが撮らなくちゃいけない。「俺だったら絶対こんな撮り方しないのに」って横目で見てたことが全部自分に降り掛かってきました。

「言葉の問題とかどうすんだ。いや、ここでせっかく作ったセットを、バラバラにするより、通訳つけたほうが安いんだから......」って。とりあえず最初に組んだセットの部分だけを俺が撮るから、あとは香港人の監督を見つけてくださいよということで引き受けました。

ストーリーもめちゃめちゃでね。何千年も前に地球に逃亡してきた宇宙人が地球上の生物に乗り移るわけですが、それがたまたま猫で。その猫が宇宙に帰るための機材を集めている。遺跡の展覧会で部品が盗まれ、警察が調べたら、どうやら猫が盗んでいるらしいと。猫を追いかけていくと老人と美少女がいて、そいつらも宇宙人で......という話です。
香港の警察が主人公なんですけど、そいつが「猫が犯人なんて、そんなバカな」とか言いながら「猫ならこれで大丈夫だろう」と、香港で一番強い警察犬をけしかけて、ものすごい戦いをして結局猫が勝っちゃう。最初のセットで撮ったのは、そういうシチュエーションでした。

最初の監督はどうしても本物の犬と猫で撮りたいとリアリズムを追求しました。本物の犬と猫は逃げちゃうから、逃げないようにスクラップ置き場のセットをびっしり作ったんです。それでは当然、猫も無事では済みません。そういう映画を作るプロデューサーは当然猫好きなわけで。彼の逆鱗に触れて3日でクビになってしまいました。

そうして俺は、「犬と猫のケンカ」を1ヶ月もかけて撮らなきゃいけなくなりました。途中で俺も帰国するので結局最後まで出来なかったのですが、かなり経ってから作品は完成しました。俺が離れてからの話ですが、日本の資本を得る代わりに日本の役者さんが出ることになって、一本の映画なのに主人公が日本人と香港人の2人1役になってしまいました。日本では東京ファンタスティック映画祭で1回上映して、あとは日本版としてビデオになりましたね。

――その後、『ローレライ』や『日本沈没』を撮られてきて、今回の「のぼうの城」は共同監督ということで、変わったスタイルかと思うのですが。

俺も共同監督は初めてでしたね。最初はパートごとに分けて撮影する話もありましたけど、結局は1班体制で、現場にもずっと二人で入っていました。それぞれが先行して準備した部分に関してはリードするけども、一人でやるわけではないです。すごくラクでしたよ。色んな人から「意見が合わなくて揉めますか?」ってよく聞かれるけど、意見が合わない人とはどっちにしろ一緒に仕事しないんで。あと幸いな事に、すごく長い時間準備していたから、ウンザリするほど台本を読み込んでいたんでズレることも無かったです。

むしろ大変なのは現場の人達ですよ。演出家が二人いますからね。方向性は二人とも同じだから、より深い方向に進むだけですが。シーンひとつをとっても、俺にとっては気にならない箇所でも、犬童さんが修正を頼んだりする、みたいなのがあるわけですよ。キャストやスタッフはいつもの2倍の注文を処理しなきゃならなくて大変ですけど、その結果作品はすごく磨かれていくんですよね。

公開まで、あと3カ月ほどです。作品としての磨きのかかり方はすごいですよ。

聞き手: TBS Digicon6  川鍋 昌彦(かわなべ まさひこ)
執筆:フリーライター 蓬莱 早苗(ほうらい さなえ)

『のぼうの城』樋口監督へのインタビュー前編、如何でしたでしょうか。氏の経歴とこれまでの歴史を語っていただきました。後編は、氏の映像作りに対する考えと、若手クリエーターへの想いなど、必読の内容満載です。

『のぼうの城』樋口 真嗣 監督 インタビュー 後編

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*上記価格は年間契約の場合の1ヶ月あたりのオートデスク希望小売価格(税込)です。

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