トレンド&テクノロジー / VFXの話をしよう
第2回:日本CG黎明期
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今回は現在のVFX(ビジュアル・エフェクツ)にとってなくてはならないCG(コンピューター・グラフィックス)に私が初めて関わったころのお話をしようと思う。
私は長年CGという技術を利用した仕事でご飯を食べさせてもらっていて、この間数えたら来年で25年めを迎えることに気がついた!!25年前といえば1980年代の初めである。当時は「コンピューター」なぞというものはせいぜい「巨大な計算機」というイメージが普通だった。あの初代「ファミコン」が発売されたのも1983年のことである。1982年にウォルトディズニー製作の映画「トロン」が公開された。当時のマスコミ各社が最先端の映像テクノロジーとしてかなり騒ぎ立てたものだ。その結果「コンピューター・グラフィックス」という言葉はこれをきっかけに一気に世間一般に普及したことは間違いない。
私がこのCGの世界に入ったのはそんな時代だった。大学卒業を間近に控えて何とか映画関連の仕事に就きたかった自分は様々な伝手を頼って、たまたまアニメ映画「ゴルゴ13」の制作にアルバイトで参加することができたのだ。
しかし、集まったスタッフたちを見るとアニメーターもいれば、漫画家、イラストレーター、システムエンジニア、理工系学部の大学院生もいれば、元OLや、今度高校卒業するという女の子もいる。「一体、何を基準に人を採用してるんですか」私は当時プロジェクトの責任者のひとりに聞いてみた。「いやあ、じつはCG制作って誰もやったことがないから、そもそもどんなスタッフや能力が必要なのか誰も知らないんだよね。だから、とりあえず興味ある人をだね...」という回答だった。
私はその時に確信した。「この映画はプロジェクト自体が壮大な実験なのだ...!」
「ゴルゴ13」は最終的にはアニメ劇映画として1983年に公開された。しかし、企画当初の目標が「世界初の全編フルCGアニメーション」だったことはあまり知られていない。それが如何に無謀な計画であったかは、後に実感することになるのだが、当時のスタッフは皆きっと何とかなるものだと思っていた。ところが!である。作業ルームを見渡すと一見普通に机はあるし、椅子もある、文房具も...でも「コンピュータ-」らしきものはどこにもない。集まったスタッフに上司が説明する。「コンピューターは今まだ開発中で、あと数ヶ月はかかる」なんと!CGを作るのにコンピューターが「ない」とは!!じゃあ、一体僕らは何をしたらいいの?渡されたのは方眼紙と卓上計算機。とりあえず舞台はニューヨークだから街をCGで作る必要がある、というわけでビルを担当別に振り分けて、各自設計図を引いて3次元の座標数値を割り出せという指示。CGを知らないど素人集団は言われるがまま。今思えば、何と言う「アナログ」な作業だったのだろう。定規で線を引き、電卓で座標を求める作業の繰り返し。自分たちが最先端な技術で映画を作ってるとは到底思えなかった。
数ヵ月後、ようやく待ちに待ったコンピューターが現場にやって来た。電卓片手で割り出した膨大な物体の数値情報が一斉に入力された。モニター画面の下の方から何やら画像らしきものがジワジワ表示されて行く。待つこと数分。やっと1枚の画像が表示され、スタッフがあくせく方眼紙上で描いた世界が3Dの物体としてモニター上に浮かび上がったのだ。それには一同感激し、同時に初めて「CG」を実感した瞬間だったと思う。今見たらとても単純で低レベルな画像だが、それでも画期的な映像だったことは間違いない。でも待てよ。映画の公開までにはもう半年しかない。こんなペースで全編をCGなんかで作れるのか!?当然作れるわけがない。結果、劇中のフルCGカットは全部で(皮肉にも)「13」カットのみ!今のCGに比べたらかなり稚拙な仕上がりだとは思う。それでもスタッフのほとんどは連日徹夜の日々だったのだ。こうしてフルCG映画をめざした「夢」のプロジェクトは終わった。
このプロジェクトが画期的だったのは、純国産のコンピューターシステム(LINKS-1)とオリジナルの画像生成ソフトのみで作られた初めてのエンタテイメントCGだったということである。国産CG画像は私の知る限り後にも先にもこの1例のみである。
現在のCG作業は、コンピューターの前に座ってマウスをくりくりと動かすだけで簡単な物体はできてしまい、電卓や方眼紙などはまったく不要だ。今CGの現場で活躍する若者からは同情と憐れみを持たれるかもしれないが、そんなことはない。何故ならその仕事で苦労したスタッフはもはや今後誰も経験することのない初めての純粋なCG体験ができたのだから。
追記「世界初のフルCG劇場アニメ映画」として世間の人が目にした作品は、それから12年後の1995年に公開されたPIXAR社製作の「トイ・ストーリー」だったことは言うまでもない。
© 映像+/グラフィック社刊
現在、映像+に連載中 http://www.graphicsha.co.jp/
本稿は「映像+2 」 2007年11月25日発行に掲載されました。