トレンド&テクノロジー / VFXの話をしよう
第6回:「アラビアのロレンス」にみる視覚効果とは
- コラム
- 映画・TV
最近、一部の東宝系の映画館でやっている「午前十時の映画祭」という企画が好評らしい。毎朝、日替わりで朝10時からもう滅多に映画館では観られない過去の作品を上映するというもので、「カサブランカ」「雨に唄えば」「ゴッドファーザー」など、なかなかのラインナップだ。その中にデヴィッド・リーン監督の1962年の作品「アラビアのロレンス」も含まれている。リアルタイムで劇場で観ることのできなかったこの作品は、他のどんな作品よりも劇場で観たかった1本だった。この原稿は2年ほど前にニュープリント版としてロードショーされた際に書いたものだが、今も観ようと思ったら観られるというのは嬉しいことだ。
オーバーチュアとインターミッションを挟んだほぼ4時間に亘るこの作品は文字通り「超大作」であり、デジタル技術が発達した現代では決して観ることのできない生の迫力がそこにある。
砂漠に広がる無数のテントと人、ひと、ヒト。爆発してひっくり返る汽車。広大な土地を行進する駱駝(らくだ)と馬の列。ディ・フォー・ナイト撮影で生み出された幻想的な夜の砂漠の風景。どこを取っても開いた口の塞がらないシーンの数々。一切のごまかしのない「生の」映像がそこにあった。もはや、これはドキュメンタリーかもしれない、などと思う。こんなものを観てしまうと自分のやってるCGとはなんて「つまらない」技術かとも、つい思ってしまう。今は進んだデジタル技術のせいで、どんなにスペクタクルな映像がスクリーンに映し出されても同じ感動を味わうことは難しい。せいぜい観客同士が「あのCGすごかったね」と、フィクションであることを確認し合って安心するという不思議な楽しみ方をしていたりする。それが実は「本当」だったとしても、だ。
今回とても印象に残っているシーンがある。ロレンス率いる無数の駱駝と騎馬隊がアカバの街を攻略するという物語前半のクライマックスだ。このシーンをデヴィッド・リーンはほとんど1カットで表現している。カメラは近くの高台の丘に据えられ、数千とも思える駱駝と馬の軍勢が左手から凄まじい砂煙を立てて迫ってくる。カメラはそれにつけてゆっくりパンして行くと、画面右手にアカバの街が見えてくる。その街に突撃隊がそのまま駆け込んで行く様子が映される。そのままカメラはパンして行くと、海に向けられた地中海の青い海と大砲1機が見えてくる。そしてカットは終わる。直後、すでにアカバの街はロレンスたちに占領されたことになっている。この1カットが素晴らしい。
私がつくづく感心するのは、ただカメラがパンして行き、画面上手から青い海が見えてきた瞬間に「あ、占領された」と観客に思わせてしまう表現そのものだ。私はこれも「視覚効果」のひとつと信じている。
もし今、このシーンをまた再現するとしたら先ず間違いなくVFX処理されることになるだろう。数千の駱駝や人間をそろえたり、街を作ったりする予算を考えたら、普通のプロデューサーならCGを選択すると思うからだ。しかし、今言いたいのはそういうことではなくて、「視覚効果」の本来の意味のことを言いたいのだ。
「視覚効果」という表現はCG以前から存在している言葉だ。アカデミー賞の中に「視覚効果賞」が設けられたのは1963年以降と言われている。それ以前の「特殊効果賞」に至っては1939年(「風とともに去りぬ」が公開)にもさかのぼるくらい、その概念は古い。もっと言えば、映画というもの自体が最初から「視覚効果」の芸術ではあるのだ。けれども今ではCGを始めとするデジタル「映像技術」に重きを置かれた概念になっているのだ。
今回のアカバの攻撃シーンにおける「視覚効果」とは何かと問えば、いわば「演出の経済性」という言い方になる。一連のストーリーの中でその1カットから伝わって来ることを挙げると
1.数千のロレンス軍団が一気に攻撃をかける迫力
2.アカバの街を占拠する事実
3.それがとても「あっけない」こと
4.(これは観てない人にはわからないことだが)海に向けられた大砲
5.青い海を見せることで、ここに至るまでの長い砂漠の行軍の終焉を示す
6.征服の達成感、その他にも決して映像には映らないけれど観客はロレンスたちが街に突入したときの襲撃の様子を「勝手に」想像させられる。
これだけの「情報」がたった1カットから伝わって来るのである。
これらの情報を伝えるために、より多くのカット数を重ねて行く演出でもおかしくはない。しかし、それで同じ内容が観客に伝わったとしても、上記のようにシンプルな1カットに様々な意味を託すことのカッコよさと合理性に比べるとかなり野暮ったく、とても「無駄」な気がするのだ。「経済性」という表現はここから来ている。
「視覚効果」とは技術的な側面も大いにあることは理解できるが、しかしそれは所詮、技術=テクノロジーであり映像の「裏側」のシステムの話だ。本来的な言葉の意味からすれば、視覚効果とは、ある映像がどれほど観る人にある事象を伝え、訴えるものであるかを指すものであるべきではないだろうか。VFXとは無縁の時代の映画なのに、VFXのことを考えさせられる「アラビアのロレンス」は確かに傑作だった。ちなみに、「演出の経済性」は「制作費の経済性」とは必ずしも一致することはないものである。どちらにせよ映画はお金がかかるものなのだ。
© 映像+/グラフィック社刊
現在、映像+に連載中 http://www.graphicsha.co.jp/
本稿は「映像+6」 2009年3月25日発行に掲載されました。
オーバーチュアとインターミッションを挟んだほぼ4時間に亘るこの作品は文字通り「超大作」であり、デジタル技術が発達した現代では決して観ることのできない生の迫力がそこにある。
砂漠に広がる無数のテントと人、ひと、ヒト。爆発してひっくり返る汽車。広大な土地を行進する駱駝(らくだ)と馬の列。ディ・フォー・ナイト撮影で生み出された幻想的な夜の砂漠の風景。どこを取っても開いた口の塞がらないシーンの数々。一切のごまかしのない「生の」映像がそこにあった。もはや、これはドキュメンタリーかもしれない、などと思う。こんなものを観てしまうと自分のやってるCGとはなんて「つまらない」技術かとも、つい思ってしまう。今は進んだデジタル技術のせいで、どんなにスペクタクルな映像がスクリーンに映し出されても同じ感動を味わうことは難しい。せいぜい観客同士が「あのCGすごかったね」と、フィクションであることを確認し合って安心するという不思議な楽しみ方をしていたりする。それが実は「本当」だったとしても、だ。
今回とても印象に残っているシーンがある。ロレンス率いる無数の駱駝と騎馬隊がアカバの街を攻略するという物語前半のクライマックスだ。このシーンをデヴィッド・リーンはほとんど1カットで表現している。カメラは近くの高台の丘に据えられ、数千とも思える駱駝と馬の軍勢が左手から凄まじい砂煙を立てて迫ってくる。カメラはそれにつけてゆっくりパンして行くと、画面右手にアカバの街が見えてくる。その街に突撃隊がそのまま駆け込んで行く様子が映される。そのままカメラはパンして行くと、海に向けられた地中海の青い海と大砲1機が見えてくる。そしてカットは終わる。直後、すでにアカバの街はロレンスたちに占領されたことになっている。この1カットが素晴らしい。
私がつくづく感心するのは、ただカメラがパンして行き、画面上手から青い海が見えてきた瞬間に「あ、占領された」と観客に思わせてしまう表現そのものだ。私はこれも「視覚効果」のひとつと信じている。
もし今、このシーンをまた再現するとしたら先ず間違いなくVFX処理されることになるだろう。数千の駱駝や人間をそろえたり、街を作ったりする予算を考えたら、普通のプロデューサーならCGを選択すると思うからだ。しかし、今言いたいのはそういうことではなくて、「視覚効果」の本来の意味のことを言いたいのだ。
「視覚効果」という表現はCG以前から存在している言葉だ。アカデミー賞の中に「視覚効果賞」が設けられたのは1963年以降と言われている。それ以前の「特殊効果賞」に至っては1939年(「風とともに去りぬ」が公開)にもさかのぼるくらい、その概念は古い。もっと言えば、映画というもの自体が最初から「視覚効果」の芸術ではあるのだ。けれども今ではCGを始めとするデジタル「映像技術」に重きを置かれた概念になっているのだ。
今回のアカバの攻撃シーンにおける「視覚効果」とは何かと問えば、いわば「演出の経済性」という言い方になる。一連のストーリーの中でその1カットから伝わって来ることを挙げると
1.数千のロレンス軍団が一気に攻撃をかける迫力
2.アカバの街を占拠する事実
3.それがとても「あっけない」こと
4.(これは観てない人にはわからないことだが)海に向けられた大砲
5.青い海を見せることで、ここに至るまでの長い砂漠の行軍の終焉を示す
6.征服の達成感、その他にも決して映像には映らないけれど観客はロレンスたちが街に突入したときの襲撃の様子を「勝手に」想像させられる。
これだけの「情報」がたった1カットから伝わって来るのである。
これらの情報を伝えるために、より多くのカット数を重ねて行く演出でもおかしくはない。しかし、それで同じ内容が観客に伝わったとしても、上記のようにシンプルな1カットに様々な意味を託すことのカッコよさと合理性に比べるとかなり野暮ったく、とても「無駄」な気がするのだ。「経済性」という表現はここから来ている。
「視覚効果」とは技術的な側面も大いにあることは理解できるが、しかしそれは所詮、技術=テクノロジーであり映像の「裏側」のシステムの話だ。本来的な言葉の意味からすれば、視覚効果とは、ある映像がどれほど観る人にある事象を伝え、訴えるものであるかを指すものであるべきではないだろうか。VFXとは無縁の時代の映画なのに、VFXのことを考えさせられる「アラビアのロレンス」は確かに傑作だった。ちなみに、「演出の経済性」は「制作費の経済性」とは必ずしも一致することはないものである。どちらにせよ映画はお金がかかるものなのだ。
© 映像+/グラフィック社刊
現在、映像+に連載中 http://www.graphicsha.co.jp/
本稿は「映像+6」 2009年3月25日発行に掲載されました。