トレンド&テクノロジー / 3DCG の夜明け 〜日本のフル CG アニメの未来を探る〜
第6回:荒牧 伸志 氏(監督/メカニックデザイナー)
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荒牧伸志氏(監督/メカニックデザイナー)
日本におけるフル3DCGアニメーション制作の未来を探るため、各界の専門家に話を伺う本連載。今回は映画監督であり、メカニックデザイナーでもある荒牧伸志氏にご登場いただく。『APPLESEED』(2004)から最新作の『APPLESEED ALPHA』(2014)にいたるまで、勢力的にフル3DCGアニメーション映画の監督を続けてきた荒牧氏は、日本のCG映像制作の立役者の1人といえる。これまでの歩みと今後の展望、3DCGに対する考えなど、幅広く語っていただいた。
【聞き手:野口光一(東映アニメーション)】
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我々の世代は20代半ばで一通りのことを経験している
東映アニメーション/野口光一(以下、野口):日本のフル3DCG映像の歴史を紐解くと、要所要所で、荒牧さんの作品が登場します。日本のCGの歴史を語るうえで、荒牧さんの歴史は欠かせないと感じているのです。
荒牧伸志(以下、荒牧):かれこれ10年くらいCGの映画を作ってきましたから、数と時間だけは重ねてきましたね(笑)。
野口:CGを手がける以前は、アニメの監督やメカニックデザイナーをなさっていましたね。荒牧さんは、今も監督とメカニックデザイナーを兼任されることが多いですが、メカニックデザイナーって、どうやったらなれるのでしょうか?
荒牧:メカが好きで、それなりに描ければなれますよ(笑)。
野口:(笑)。最初のメカニックデザインは、どういうきっかけで始められましたか?
荒牧:岡山大学に通っていた時代に、学生の仲間を集めてアニメの自主制作をやっていたのです。ちょうど「アオイホノオ」の時代です。それを神戸で上映したら評判が良くて、東京で漫画家を目指していた先輩の仲間にも見てもらいました。そのアニメがきっかけになって、株式会社タカラ(現在の株式会社タカラトミー)から声がかかったのです。
野口:そのアニメ作品を、我々が見ることはできますか?
荒牧:土に埋めて、永久に出てこないようにしてます(笑)。「タカラが玩具のデザイナーを探している」という話を先輩から聞かされ、上京してタカラに行ったら、「明日から描いてください」と言われました。外注デザイナーとしてでしたが、「こんな絵で売れちゃうんだ!」って嬉しくてね、毎日毎日描いて、週1回のペースで持ち込み、先方が気に入ったものを買い取ってもらうという生活を3ヶ月くらい続けたのです。その時代に、元、株式会社タツノコプロのプロデューサーと知り合いました。「何かアニメ向けのおもしろいアイデアはないかな?」と聞かれてデザインしたメカがTVアニメ『機甲創世記モスピーダ』(1983〜1984)の企画へと発展し、放映が決まったのです。だから、上京して約6ヶ月後には、アニメのメカニックデザイナーになっていたのですよ。
野口:驚異的なスピードですね。
荒牧:当時20代前半だった河森正治さんがデザインした、『超時空要塞マクロス』(1982〜1983)の可変戦闘機バルキリー(作中の主役メカ)の玩具がその前年に飛ぶように売れたことで、「若い人がメカニックデザインをやると良いことがある!」という気風がアニメ業界に浸透していたのだと思います。当時のアニメは玩具メーカーがスポンサーになっている場合が多く、関連玩具の売上が非常に重視されました。極端な言い方をすると、アニメは玩具の宣伝手段でもあったわけです。だから今でも河森さんには足を向けて寝られないんです(笑)。まだアニメ業界に踏み入れる前に、私自身もスポンサーに対するアニメ企画のプレゼンに同席することがありました。会社の重役の皆さんの前で、ロボットのプロトタイプの試作模型を変形させて見せたりしましたね。そういう場で、アニメの制作資金が出される過程を目の当たりにできて、勉強になりました。
野口:荒牧さんも20代前半だったのでしょうか?
荒牧:22歳くらいです。アニメの仕事と並行して、タカラの『ミクロマンシリーズ』でも、一部のデザインを手がけていました。私は変形ロボット玩具のデザインを任されたので、参考資料として手提げ袋いっぱいの玩具をもらって帰り、可動のしくみを研究しました。その後、ミクロマンのロボットデザインの一部はアメリカのハズブロに引き継がれ、名前を変えて『TRANSFORMERS』になったのです。ラジカセやカメラがロボットに変形する玩具でした。
野口:アニメのメカだけでなく、玩具商品のデザインも手がけていたのですね。
荒牧:『機甲創世記モスピーダ』では、メカニックデザインだけでなくストーリーも考えさせてもらい、企画会議にも参加していました。その後に手がけたOVA『メタルスキンパニック MADOX-01』(1988)や『メガゾーン23 PART III』 (1989)では、メカニックデザインに加えて監督もやりました。まだ20代で怖いもの知らずでしたね。今もあまり変わっていませんが(笑)。河森さんが映画『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(1984)の監督を24歳で手がけたのは別格としても、庵野秀明さんや、板野一郎さんなど、当時まだ20代だった同世代のアニメーターや演出家にもOVAの監督をやるチャンスがありました。当時のOVAは、尺が40分程度で、基本的には一話完結でしたから、若手が挑戦するのに調度良いメディアだったのです。そんな背景があったので、我々の世代は20代半ばで一通りのことを経験しています。OVAという新しいメディア、メカニックデザインという新しい仕事が登場し、そういう新しいモノに対する期待感のある時代でした。
作画でのメカ表現に限界を感じ、CGの可能性を探った
野口:その後、徐々に3DCGの世界へとシフトしていますね。きっかけは何だったのでしょうか?
荒牧:メカって、線が多いから描くのが面倒くさいのですよ。「線を減らしてください」とか、「こんなの描けません」とかアニメーターに言われて、しようがなく自分で描いたこともありました(苦笑)。我々は設定画を描けば終わりですが、アニメーターは同じメカの絵を何百枚と描かないといけない。楽しんで描いてくれる人もいますが、たいていの人は辛いですよ。そんなときに、映画『トロン』(1982)や、『スター・ファイター』(1984)を見たのです。『スター・ファイター』では主役メカをCGで表現して、質感まで付けてありました。「これだ!」と思いましたね。自前でPC-98と3DCADソフトのThirdy(サーディ)を購入して、ワイヤーフレームのショットを作りました。
野口:80年代にですか?
荒牧:最初に使ったのは『メガゾーン23 PART III』 の頃だと思います。Thirdyで作った画像をプリントアウトして、タップ穴をつけ、それを白黒反転フィルムで焼いて、アニメの撮影台で透過光で撮影してフィルムにしていましたね。当時は趣味の延長でした。
野口:凄いことじゃないですか!
荒牧:その延長でCGのプロダクションとも交流ができ、CGを使って何か映像の企画ができないかという話になり、1993年からは株式会社ビルドアップに入ったのです。そこではゲームムービーの演出やデザインを手がけました。『バーチャファイター3』(1996)のムービーを演出する機会があって、キャラクターもCGで意外と表現できるものだなと思ったのです。その頃はキャラクターのテクスチャを自分で描いたりもしていました。
野口:当時はゲームムービーの仕事が大量にあって、絵コンテから任せてもらえましたよね。
荒牧:作画アニメの時代から、私はメカのアクションシーンのコンテを任されることが多かったのですが、いつも200カット中100カットくらいはNGにされていました。「こんな大変なシーン描けません」と言われ続け、作画での複雑なメカ表現には限界を感じたので、CGで可能性を探りたいと思ったのです。
野口:その思いが『APPLESEED』(2004)につながったわけですね。この作品が発表された時の反響を今も覚えています。トゥーンシェーディングを使い、あそこまでキャラクターを表現できるとは多くの人が予想していませんでした。アニメでの本格的なモーションキャプチャの使用も画期的でした。
荒牧:私自身は既にゲームでトゥーンシェーディングをよく見ていたので、新しい表現だとは思いませんでした。今ふり返っても不思議なのですが、当時、監督を引き受けはしたものの、完成できる気がしなかったのですよ。プロダクションに入っても毎日重大なトラブル続きでした。でも結果として、監督を引き受けてから、脚本開発も含めて約1年半で完成しました。
野口:速いですね。
荒牧:TVアニメ『鋼の錬金術師』(2003〜2004)のデザインなど、他の仕事も並行してやっており、5年分くらいの仕事をしたように感じましたね。行く先がまったく見えない暗闇のなかで、懐中電灯片手に這いつくばって、見える範囲の作業だけをやり続ける……そんな感じの日々でした。「ひょっとして、完成できるんじゃないか?」と思えたのは、完成の直前です。株式会社デジタル・フロンティアのスタッフたちと一緒に最終的なルック(見映え)のチェックをしながら、「あ、これ完成するかも……」ってぼそっと言ったことを今でも覚えています。ちょうど作業が終わる1ヶ月くらい前だったと思います。デジタル・フロンティアは物量に対する適応力が高く、私がやりたいことを依頼したとおりにやってくれたのです。作画アニメの現場だったら見ただけで「できません」と言われてしまうような面倒な絵コンテを、どんどん映像化してくれました。フルCGでアニメ映画を作った経験なんて誰も持ち合わせていない、暗中模索の時代だったから、あの無茶な物量をそのまま作ってくれたのです(笑)。
野口:あの作品が世に出た時の反響は凄かったですね。「これからはCGアニメの時代になる」と断言する方までいました。ところが、そうでもなかった(苦笑)。
荒牧:『APPLESEED』以降も、私はずっとCGアニメを作り続けてきましたが、思ったより広がりませんでしたね。最近になって、ようやく盛り上がってきました。モーションキャプチャやCGのルックに対する拒否反応が大きかったのかなと感じています。
野口:でも当時は、手付けだけでキャラクターのアニメーションをつけられる人がほとんどいませんでしたよね。最近は、ミニチュアと3DCGを併用する株式会社白組、トゥーンシェーディングの株式会社サンジゲン、モーションキャプチャを使ったリアル路線の荒牧さんなど、個性豊かな才能が出そろってきたと感じます。
荒巻:10年かかりましたね。最初からトゥーンではなくリアルを目指そうと思っていたわけではないですが、結果的にそうなりました。CGなのに、なぜわざわざ手描きのアニメっぽくしなくちゃいけないんだと、ずっと思っていたのです。元々実写がやりたいというわけでもないのですが……わかりやすく言うと高校時代に観た『スター・ウォーズ』(1977)みたいなものを作りたいという動機から始まっているのです。この業界に入るときは、アニメだったら日本でも『スター・ウォーズ』のようなSF作品やメカを表現できるだろうと思ったわけです。絵を描くのが好きだったこともあって、やってみるとアニメは思いの外おもしろかったのですが、先ほども話したとおりメカや空間表現には限界がありました。アニメに対して思い入れがないわけではないですが、最近は特に「CGアニメ」と言われることに対する違和感をかなり持っています。モーションキャプチャを使っているのに、こういうものを同じアニメとよんで良いのかと……。的確な言葉があると良いのですけれど。もちろんモーションキャプチャだけで作品が完成するわけもなく、確実にたくさんのアニメーターが介在して完成しているのは間違いないのですけどね。
野口:『APPLESEED』、『EX MACHINA』(2007)、そして最新作の『APPLESEED ALPHA』(2014)を見比べると、徐々にリアルな表現に移行してきた荒牧さんの歴史がよくわかります。
荒牧:『EX MACHINA』はルック開発に時間をかけました。トゥーンではあるものの、パキッとした影にはしたくないとか、色々と試行錯誤しましたね。自分でルックを選べるのが、CGの利点の1つだと思います。例えばキャラはトゥーンだけど、メカにはリアルなテクスチャを貼り、背景はもっとリアルにするとか、ルックのバランスを自由に調整できます。背景に光源や反射物があれば、その影響を周りのキャラクターやオブジェクトにまで適用できたりもする。従来のアニメだと、そういう空間表現は非常に難しい。ただ、トゥーンのルックが嫌いということはなくて、せっかく3Dでやるのなら、手描きとは違った3Dなりのトゥーンをベースにした新しいルックを作り出してみたいという意欲は今でもあります。
野口:荒牧さんがもう1度トゥーンを選んだとしても、サンジゲンとは全然違う表現になりそうですね。
荒牧:サンジゲンは既にその方向性を確立していますから、同じことをやってもしようがない。そのほかのプロダクションにもその流れは広がってきていますので、そこは皆さんにがんばってもらえば良い。そもそも、私は従来の手描きアニメを3Dで再現することにあまり興味はないのです。もちろん作品は楽しく観ていますが。
コストも含めて管理すれば、納得できるし諦めもつく
野口:2010年以降の荒牧さんは、SOLA DIGITAL ARTS Inc.を拠点に活動なさっていますね。自分たちのスタジオをもった方が、やりやすいということでしょうか?
荒牧:自分の思ったものを作りやすくなりました。予算の枠はありますが、そのなかで一番やりたいことを優先するために、こっちはやらなくても良いとか、時々の事情に合わせて柔軟にシステムを変えています。特にCGアニメの場合、まだワークフローが確立されていないので、自分であれこれ試せるのはメリットですね。新しい映画を作るたび、作品自体の構想とともに、今度はこういうワークフローを試してみたいという思いが湧き上がってくるのです。どうすれば3DCGの表現と演出の自由度を上げられるかは、ワークフローにかかっていると思います。プロダクションのワークフローはもちろん、プリプロ、ポスプロも含めて、もっともっと、おもしろいやり方があるとも思っています。今はコスト管理まで含めてその構築を自分でできますから、納得度は高いですよ。まだまだ試行錯誤も多いですがね。
野口:「コストの管理もしなくてはいけない」という発想ではないのですね(笑)。
荒牧:フリーのディレクターとして、他のスタジオに出向いて指示をする場合、私が予算配分や制作フローをコントロールしようとしても、どうしても限界があります。スタッフィングについても同様です。結局どんなスタッフにも無理を言ってしまうことになるのですが、映画が終わるとかなりのスタッフがそのスタジオを辞めてしまう。そういう事態に直面するたびに辛かったし、責任を感じもしました。何とか人材配置、予算配分、ワークフローを作品に最適化して、いいチームを作りつつ、継続的に映像を作っていけないかと考えたときに、自分たちで会社、制作スタジオを持つ必要性を感じたのです。その方がもちろん大変になるのはわかっていたのですが、スタッフに納得してもらえるかどうかはともかく、自分としてはそこまでやれば納得できます。一方で、どうしたってやれないことに対しての諦めもつきます。
野口:そういうコスト管理まで視野に入れて作っている監督は多くないと思います。
荒牧:内容とコストは、どううまくやっても、ある程度トレードオフの関係にあります。「それをやると何人月かかるから、こっちを諦める代わりに、あっちをやろう」とか、自分で決定できた方が、映画の仕上がりに対して責任を取れるんじゃないかと思うのです。自分がディレクターと経営者を兼任していれば管理できますが、普通のディレクターだとスタジオのプロデューサーに「予算的、スケジュール的に無理です」と言われて終わってしまう。それではフラストレーションが溜まるのです。「こういうやり方があるんじゃないの?」って言いながら、うまくやりくりをしてベストの方法を見つけられるのがスタジオを管理する利点ですね。実際はそこまでうまくはいきませんが(笑)。
野口:絵コンテの段階から、そういうコスト計算をしているのでしょうか?
荒牧:絵コンテ以前のシナリオ段階、企画段階からやっていますね。少なくとも尺は計算しますし、うちの場合は「キャラクターを何体以上作るとコストに見合いません」とか、スタッフから指摘されます(笑)。もちろんそれを突破する裏技もあるのです。たとえば、近い方向性の作品を作り続ければ、キャラクター、背景、プロップなどのストックがどんどん溜まります。メインのキャラクターなどの使い回しは無理ですが、「このショットはどうしようもない!」という局面を、過去に作った資産の組み合わせで乗り切れる場合もあるのです。これはデジタル資産の強みですね。それに、1回一緒にやったスタッフであれば、2回目はお互いにわかりあっている部分が多いので、作品に対する認識を半分くらいの労力で共有できます。浮いたパワーで次の努力ができる。毎回新しいスタッフと組んでいると、毎回イチからやらないといけないわけです。監督にとってこの差は大きいですよ。
野口:過去に対談した白組の八木竜一監督も「そもそも予算が限られているのだから、コストを考えないといけない」とおっしゃっていました。
荒牧:「監督がそういうことを考えちゃいけない」という人もいますが、従来のアニメの制作現場でもある程度やってきたことなのです。作品の内容にあわせて監督自らスタッフを集めたり、予算に合わせてストーリーをある程度コントロールしたり。それと同様に、クオリティを保ちつつ効率的に作れる、CGアニメにフィットしたやり方があると思うのです。そこはもっと積極的に追求した方が良いでしょう。残念ながら、日本では監督が「効率良く作りました」と語るとクリエイティブじゃない、という印象になる。それよりも、反対を押し切って「ちゃぶ台をひっくり返して、全部やり直しました!」という方が、クリエイティブな姿だと思う人さえいる。でも、そういう無駄を評価するのも程度問題だと思うのです。
野口:確かに日本と海外では温度差がありますね。荒牧監督の作品自体、日本と海外とでは、観客の受け止め方に違いがあるように感じます。
荒牧:観客の反応だけでいうと、私にとっては日本の市場が一番難しいと感じますね。ある意味、日本のお客さんが一番エッジが立っているし、逆にすごく保守的な部分もあるように思います。どうやって届けるか、どうやってチャンネルを確保するかとなると、海外の方が仕組み作りは難しいですが。海外では、トゥーンのアニメだと子供向けチャンネルに留まってしまいがちですが、CGであれば、より広い地域、年齢層に受け入れられるのではないかと思っています。わかりやすい例はゲームです。このところの大作ゲームは、リアルなルックで、SF要素の入っているものが多い。私自身、そういうテイストのゲームが好きなので、このファン層に訴えかける作品を作れば、CGアニメの市場が広がって、いろんな作品を作るチャンスが増えるのではないかと思っています。
野口:『キャプテンハーロック』(2013)はヨーロッパでヒットしましたし、『APPLESEED ALPHA』は海外で先行公開されました。荒牧さんの作品市場は、確実に海外にも広がっていますよね。
荒牧:『キャプテンハーロック』は、2013年の末から2014年の頭にかけて、フランス・イタリアで劇場公開されて、ある意味日本以上に成功して、反応も良かったようですね。むかしのTVアニメ『宇宙海賊キャプテンハーロック』(1978〜1979)のファン層が支持してくれた部分も大きいと思いますが、それを知らない若い年齢層の人も見てくれていたようです。今年のフランスのジャパンエキスポでのサイン会には、これまでにない数のファンが並んでおり、驚きました。私のサイン会は、海外でも毎回メカ好きのオジサンが8割だったのですが、今回は女性が印象値として7割くらいもいて、親子連れもいました。これまでにない体験でした(笑)。
野口:国内はもちろん、海外市場でのファン拡大にも期待しています。本日は有難うございました。
Shinji Aramaki
1960年生まれ。福岡県出身。岡山大学在学中に手がけた自主制作アニメがきっかけとなり、メカニックデザイナーとして活動を開始。TVアニメ『機甲創世記モスピーダ』(1983〜1984)やOVA『メガゾーン23』シリーズ(1985〜1989)のメカデザインを担当。OVA『メタルスキンパニック MADOX-01』(1988)で監督デビュー。続く『メガゾーン23 PART III』 (1989)でも監督を担う。これらの作品では、監督とメカニックデザインの両方を担当しており、このスタイルは後年の監督作品でも継続することとなる。2004年には、トゥーンシェーディングとモーションキャプチャを使ったフル3DCGアニメ『APPLESEED』を監督。その画期的な表現は、国内だけでなく海外でも話題となった。2007年には、その続編『EX MACHINA』を発表。2010年に、映像作品の企画から制作までを担うSOLA DIGITAL ARTS Inc.を創業。その他の監督作品には『スターシップ・トゥルーパーズ インベイジョン』(2012)、『キャプテンハーロック』(2013)などがある。最新作は『APPLESEED ALPHA』(2014)。
Supported by Enhanced Endorphin
INTERVIEWER_野口光一(東映アニメーション)
EDIT_尾形美幸(EduCat)
PHOTO_弘田 充
LOCATION_SOLA DIGITAL ARTS INC.