トレンド&テクノロジー / 冨田和弘が斬る!建築ビジュアライゼーション業界
第23回:建築CG今昔物語

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先日、建築CG関係の飲み仲間と今後の業界について話しをしているうちに、ついつい昔話に花が咲きました。あの頃は~が当たり前でとか愚痴とも取れる話をしながら思ったのは、昔は色々大変だったけど、その時の経験やスキルが今の自分を支えているという事実です。飲み仲間との話で昔話に話が移行したのも、単に懐かしさだけの話では無く、今後の業界の生きていき方を話し出すと昔話を引き合いに出す事例が多かったからなのです。この事から昔の建築CG業界を知る事は今後に何らかのプラスをもたらすのではないかとの考えが頭にもたげ、今回のコラムの題材にしようと思いました。私と同年代又は近い世代だと懐かしさが、若い世代にとってはそんな時代があったのかと、単に懐かしさと驚きが交錯する話になってしまうかもしれませんが、今後を生き抜く何かのヒントになれば幸いです。
では、二昔半くらいタイムスリップしてみましょう。

私が初めてCAD/CGに触れた時代

私がCADを初めて触ったのは1986年頃で、大学の研究室で開発されていた自前のモデリングソフトとAutoCADを併用して図面作成とモデリングを行い、これまた研究室自前のレンダリングソフト(Raytracingソフト)でレンダリングを行うというものでした。自前のソフトはGUIなど一切無く、モデリングデータをテキストで作成し、そのデータを読み込んで画面に表示し形状を確認するといった今では考えられない代物でした。AutoCADもバージョンは2で3次元機能は無いに等しかったので、AutoLISPでスクリプトを組んで今で言うパラメトリックモデラーのような使い方で3次元入力を行っていました。またAutoCADで作成した3Dデータをdxfではき出し、dxfから自前のモデラーやレンダリングソフトに持って行くためのデータコンバートプログラムをC言語で組んでいました。

しかもこれらの作業は全てPC98(レンダリングは一部計算機センターの大型コンピュータ)で行っていました。当然WindowsのようなGUI環境ではなく、MS-DOSというCUI(Character User Interface)の環境でしたので、かなりの作業をキーボード入力で行っていました。今でこそCG制作はPCで且つGUI環境で行うのは当たり前ですが、当時PC98を使ってレイトレースのイメージをレンダリングしていただけでもものすごいことだったと思います。というのもメインメモリは640k(だったと記憶してます。なんと1メガ満たない!)、PCの起動はフロッピーディスクで行っていて、ハードディスクがありませんでした! 1988年頃に待望の20メガのハードディスクが研究室にやって来て、これで無尽蔵にデータを保管できると喜んだものです。

この事からも、当時PCでCGを作っていた事がどういう事だったかお分かり頂けるかと思います。付け加えるとPCも今と比べて高価でした。上記のPCで確か50万以上はしたと思います。50万と聞くとまあまあな価格かと思われるかもしれませんが、スペック的には今の携帯よりもネットブックよりも遙かに下だったと思いますのでコストパフォーマンスの面から見ればかなりの高額です。

この当時の経験で会社に入ってから役立った物、更には今も生きていることは以下の事です。

1.適材適所で複数のソフトを駆使して1つの成果品に纏めるという姿勢。
2.制作に必要で、ソフトが無いものは自分たちで作る。
3.2のために高級言語(C言語、FORTRAN等)を使用したプログラミング技術の習得。
4.データの整理整頓。

1は現状の制作環境でも同様だとは思いますが、面倒臭がらずやるといった点が役立っているという事でしょうか。2は3とそのままイコールですが、自分たちで何とかするという姿勢です。現在のソフトは複雑になっていたり、機能が満載で足りないことはあまりないですが、ソフトを使用する際にわからない事や出来ない事がある際は徹底的にマニュアルとにらめっこでつぶしていき、機能的に無い場合は使い方を工夫して解決するといった対応力に大きく影響しています。

3のプログラミングスキルが制作全般に1番役立っています。プログラミングを本業とするプログラマーの方から見れば「あなたのプログラミングはプログラムのレベルでは無い」としかられそうなレベルではありますが、プログラムを組んだお陰でソフトの基本的な構造が大凡わかるようになったので、「ソフトが落ちる」「フリーズする」「立ち上がらない」「データが読み込めない」といった事に対してデータ的な回避方法を模索できたりして大変役立っています。またDTPRとしてDirectorやFlashを使用する際もlingo、ActionScriptといったスクリプト言語を使うのに何ら抵抗がないことも良かった点です。Max scriptも一度も使ったことが無かったのですが、ちょっと3ds Maxで困ったことがあったので便利ツールを作ってみようと試したら一応問題無く出来ました(大した事のない変換スクリプトを組むのに3~4時間位かかってしまいましたが)。本当はアセンブラまで手を出していればより良かったのですが、流石にコンピューターの素人の私に大学院を通しても3年という短い期間では無理でした。

4はハードディスクすら貴重な存在だった時代なので、とにかく無駄なデータは整理すると言った事です。しかし4は最近少し麻痺し出してます。

SiliconGraphicsの時代

1990年に前前職の大成建設に入社したわけですが、そこにはPCではなくワークステーションという高性能なハードが活躍していました。当然PCもありましたが、3次元に関わる物はワークステーションでした。ワークステーションといっても今のPCワークステーションではありません。筐体が冷蔵庫程の物からその半分くらいまでの巨大なコンピュータの箱でした。

OSもUnixベースで動いていて(今のMacOSもこれがベースです)、MS-DOSしか知らなかった自分にとって「loginって何?」から始まり、オペレーションの全てが新鮮でした。3次元CADとしてはインフォマティクスのGDSというソフトがVAX(VAXのOSであるVMSがWindowsのベースです)というワークステーションで動いていました。

CGはというと当時もの凄い勢いでグラフィックス系のハードを席巻していたSiliconGraphicsというものがありました。性能のすごさもさることながら、その価格もすごくて、1番小さな筐体のIndigo(これが今のPCワークステーションよりちょっと小さい位)で1,000万円、ミドルクラスのIndigo2シリーズで1,000~3,000万強、最強のOnyxにいたっては5,000万くらいというものでした。使用していたソフトも大体500万位。ハードディスク(今はすっかり見なくなったSCSI)やメモリも高価で、増設というと簡単に数十万から100万単位のお金が出ていきます。ですので、当時CG制作を行おうと思ったら、最低でも2,000万位の出費が必要で、しかも今以上に日進月歩で性能が上がっていくためバージョンアップにかかる費用も膨大で、とても個人ベースでは無理な世界でした。 何かものすごい世界のようですが、これで今の10万位のPCよりも遙かに性能が低かった訳ですから感慨ひとしおです。

CGの事を書いていてレタッチ関係の事も思い出しました。当時は島精機というレタッチのソフト・ハードセットのシステムがあって大成ではこれを使っていましたが、筐体は冷蔵庫よりも大きく、モニターとしてはアナログHDモニタを使用するという豪華仕様で1,000万以上はしたと記憶してます。これで今安いPCでPhotoshopを使って(トータルで20万位?)出来る作業のわずかな部分をやっていたわけですから凄い時代です。Photoshopもありましたが(ちょうど世に出てきた位だったと記憶してます)、レイヤーがありませんでした。そのため何か作業や編集を行う前に失敗しても良いように必ずセーブしてましたから、プロジェクトの度におびただしい数のPSDファイルができてました。バージョン2.5だったか3.0になった頃にレイヤー機能が追加され、すごく感激した記憶があります。

とにもかくにもグラフィックといえばSiliconGraphicsという時代でしたが、アニメーションというと2分位の尺でも10台近い前述のワークステーションを回して1週間かかることも珍しくありませんでした(SiliconGraphics10台ですから、ハード・ソフトの金額は億に手が届いてます)。そのため如何にレンダリング設定を軽くするかが肝でした。

モデリングに際してはペラ板一枚で構成するのが基本。如何に少ないポリゴン数で見栄えに影響を与えないかという今で言うローポリの思想は当たり前の事でした。レンダリングに関してはテクスチャのサイズに拘るのは勿論のこと、アニメのモーションで近づくところは大きなサイズ、あまり近づかないところは小さなサイズとシーンによって張り分けていました。影計算も計算時間がかかるので影無しで設定をして、テクスチャに直接影を描いたり、影のポリゴンをおいたりして対応してました。Reflectionも特定の物(ガラスとか)に特定の物(映り込ませたい物を限定)を映り込みさせることで計算時間を軽減させてました。更にはGIなどありませんので(ラジオシティは一応ありましたが触ってませんでした)、反射光代わりにライトを設定します。インテリアなどでは部屋の大小に関わらず50~100個くらいの様々なライトを設定していました。

更には私が愛用していたCGソフトはCUIベース(この数年後にGUIベースに変わりますが)だったので、カメラの設定も数値入力です。取りあえずpositionとtargetを手打ちで入力し、一度簡易計算をしないとどの様なアングルになっているか分からないという物でした。今のカメラ設定からは信じられないほどの手間がかかってました。大学時代の事でも書きましたが、この頃もプログラムやスクリプトを組むことは当たり前でした。画像フォーマットの変換やデータコンバートプログラムなど必要な物は自前で用意していた時代です。

この頃の経験が今の私のバックボーンとして脈々と生きています。前述したように如何に軽くデータを作るかに腐心したお陰で、物をよく見て映像を考える癖がつきました。例えば水を表現しようとした時、何をもって人は水と認識するのか、どの様な映り込みが効果的なのかなど枚挙に暇がありません。ライティングに関しても自分で考えないと間接光の設定ができない訳ですから光の強弱や方向、更にはどの様な陰影が人間に立体感をより強く認識させるのかなど色々トライ&エラーで学びました。最後にあげたCUIベースでの作業は空間認識力の構築に大きく役立っています。カメラ設定を数値入力で行う訳ですから3次元空間を認識出来ていないと、簡単には望むアングルを出せません。
大変でしたが今では経験しにくいCG制作の基本を養った時代でした。

この後、全盛を誇ったSiliconGraphicsがPCに駆逐され今のCG制作の環境に移行が始まります。この移行の過程で私は初めて3dsMaxを触ることになるのですが、その話から現在までは次回のコラムでお話しさせて頂けたらと思います。

最後に

25年分を1回で纏めようとしましたが足りませんでした(書き出すとこの事も書かないと理解出来ないだろうなとか、私自身こんな事もあったなと文章がふくらんでしまいました)。わざわざ本コラムで昔話を書いたのは、今後の建築Visualizationを生きていく中で必要と考えているスキルがこのお話しの中に散りばめられていると考えているからです。次回は現在に至るお話しをして、温故知新ではないですが、過去からこれからの時代を生き抜く私なりの考えをお話ししようと思います。


設計:大成建設 CG制作:冨田和弘(制作当時 大成建設)

今回掲載したCGはGIが無い時代(1996~98頃)にレイトレーシングだけのレンダリング一発のパースです。文中で書いたように、この空間を構成するためにスポットライトを60個ほど使用しています。今では60個のライトを個々に設定するなんて面倒でやってられないという感じもしますが、当時このレンダリングを2日程度でやったのですから、当時の私は根性があったなと感心します(笑)。

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