トレンド&テクノロジー / 3DCGの未来~CGアニメとメディアリレーション~
第5回:村田和也(アニメーション監督)

2019.12.19

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村田和也(アニメーション監督)

日本におけるフルCGアニメーション制作への理解と振興を目指す本連載。「3DCGの未来 ~CGアニメとメディアリレーション~」とリニューアルをし、CGアニメと関係するさまざまなメディアのキーパーソンにお話をうかがっていく。今回は野口がプロデュースしたTVアニメーション『正解するカド』で総監督を務めた村田和也氏にお越しいただいた。住宅機器メーカーのデザイナーからスタジオジブリの研修生という稀有な形でアニメ業界に入った村田氏は、その後セガの『シェンムーII』のムービー演出を手掛けるなど、CGの演出にも柔軟に対応する。それは氏が高校時代から培ったロジカルな画面構成力があったからこそと言える。その演出術の一端をこのインタビューで語ってくれた。

【聞き手:野口光一(東映アニメーション)】
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ジブリは記念受験のつもりだった

東映アニメーション/野口光一(以下、野口):以前、村田さんから伺ったスタジオジブリに入るまでの経緯が興味深かったので、改めて詳しく教えていただけますか?

村田和也(以下、村田):ジブリは記念受験のつもりだったんですよ。アニメ好きに区切りをつけるための。僕は当時、松下電工という会社でインダストリアルデザイナーとして住宅の外装やエクステリア周りの商品のデザインを担当していました。子供時代から学生時代に至るまで、絵を描くこととアニメを観ることはずっと好きでしたが、アニメの方はあくまで趣味として位置づけて、絵を描く方は建築系のデザインの仕事に活かしていました。そんな就職して3年目の夏のことです。『魔女の宅急便』(1989年)の公開のタイミングで発売された「アニメージュ」に、宮崎駿さん直筆のマンガによる新人募集の広告が載っていて、そこにはアニメーターと演出の候補生を研修生として若干名募集すると書かれていました。そのときまでジブリが新人を募集したことなんてなかったので、これが最初で最後かもしれないと思って、これに落ちたら自分にとってアニメは生涯趣味として割り切れるなと思って応募したというわけです。

野口:ジブリ以外は応募しようとは思わなかった?

村田:小学6年のときに『母をたずねて三千里』、中学2年の時に『未来少年コナン』にそれぞれリアルタイムでハマって、それ以来ずっと宮崎さんと高畑さんのファンだったので、それ以外は頭にありませんでした。それに当時はもうすでに第一志望の会社に就職して仕事をしていましたから。見るアニメも減ってましたね。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)とか、『AKIRA』(1988年)は観ました。でもやっぱりコンスタントに観続けていたのは宮崎さん高畑勲さん、あと押井守さんの作品ぐらい。なので、ジブリだったから応募したいと思ったのであって、それ以外の選択肢はなかったと思います。

野口:試験内容はどんなものでしたか?

村田:演出志望者への一次の書類選考での課題は「自分が作りたいと思う作品についての企画書を書け」というものでした。イメージスケッチと物語の概要と作品の主旨を書いて出したら一次審査が通って、二次試験を東京で行なうので来てほしいという通知が来たんです。会社は大阪だったので幕張でやっていた住宅関係の見本市の出張と合わせて受けに行きました(笑)。受験者は基本的に学生や社会人ですから二次試験は休日の開催だったんですよ。その記述試験は3問で、第1問目が、宮崎さんが描いたらしき漫画のコマみたいなものが4つあって、それぞれを独立したある作品の一シーンだと仮定して、そのキャラクターにセリフをつけなさいというもの。2問目がアニメでも映画でも自分の好きな作品を1シーン挙げて、そのシーンが何で好きかを説明せよというもの。これはたぶん高畑さんが出したのだと思われます。3問目が宮崎さんからの出題で、直方体や円筒といったシンプルな立体を組み合わせた建物らしきものがあって、その周辺のあちこちに小さく人間が描いてあって、その人から見た建物の様子を描きなさいというものでした。アニメの演出はアニメーターではありませんが、ある程度は絵を描けなくてはいけないし、空間感覚も必要だということからくるものでした。僕は仕事で工業デザインをやっていたし、学生の時も建築系の学科で建築図面やパース画には慣れていたので、自由な視点から建物を描くのは得意でした。

村田和也(アニメーション監督)

野口:それは大きなアドバンテージですね(笑)。

村田:そうですね。でも、そのときも受かるとは思っていなかったんですよ。何せ演出志望の二次だけでも40名くらい受けていたので。

野口:合格の知らせを貰って、会社はすぐに辞められたんですか?

村田:ひと月かけて引き継ぎをしてから辞めました。知らせを受けたとき部長がちょうど忙しいタイミングで、僕もすぐ出張だったので直接話せず、手紙で事細かに書いて送ったら、会ったときに「事情はわかった」と。僕がアニメ好きであることは部署のみんなは知っていて、あと『ナウシカ』とか宮崎作品を部長がご存知だったので理解はしてもらいやすかったです。ジブリの方としては直後の10月から作画の一期生と同時に来てほしいようでしたが、退職の意思表示は辞める1ヶ月以上前にと決まっているのでそれには間に合わず、今度はジブリの方に調整してもらって、演出の研修を1月からにしてもらいました(※1)

(※1)同時期に合格したアニメーターで4月入社の者は2期生と数えられる。1期生に小西賢一、2期生に安藤雅司、吉田健一らがいる。

野口:この研修生を迎えたのは次の作品に向けてのものだったのですか?

村田:というよりも、会社の運営上の問題ですね。ジブリって『魔女の宅急便』までは、作品が終わるとスタッフをバラしていたんですよ。でも、ジブリ作品を任せられるスタッフを作品ごとに揃えるのが大変だし、カット単価で支払うにしてもジブリ作品の労力だと一般の単価では額面には見合わない。であれば、社員化してコンスタントに仕事をしてもらおうということになったようです。そうやってスタジオを維持する方向にするのなら、新人も育てていこうという流れで募集されたと。僕らが入った時は作画机も一度撤収してしまっていて、研修生と一番上層の数人しかいなくてガランとした状態で、スタジオの片隅に『おもひでぽろぽろ』の準備班があるくらいでした。

野口:村田さんは作品でいうと、いつからいつまでジブリにいたんですか?

村田:『おもひでぽろぽろ』と『紅の豚』と『海がきこえる』までです。『海がきこえる』は演出助手で、そろそろ自分でも演出をやりたいと思っていた頃でした。その直前の『紅の豚』が終わった時にジブリが他社からTVシリーズを3本グロス請けして、そのなかで1本だけコンテ・演出をやらせてもらったんです。ちなみに残りの2本は片渕須直さんでした。自分としては一本ではあるものの、初めて演出をやれたのでもっとやりたいと思っていたのですが、ジブリには当時、新人演出をデビューさせる場所というか枠組みがなかったんです。しかも、当時はOVAが全盛でTVシリーズが激減していた時代で、いま外に出ても新人が割って入れる場がないとも言われていました。そんな中、『おもひでぽろぽろ』の監督助手をやっていた先輩の須藤典彦さんから、チーフディレクターとして参加する『剣勇伝説 YAIBA』(1993年)というTVシリーズの補佐が抜けてしまったので、手伝いに来てくれないかという連絡がありました。そこで「演出をさせてもらえるんだったら」ということで、パステルという制作会社に出向しました。

野口:「YAIBA」の出向が終わった後はどうされたんですか?

村田:パステルのプロデューサーから、ウチに来るなら社員にしてやると言われたんです。で、ジブリに戻っても結局また助手しかできないことははっきりしていて、鈴木さんや宮崎さんも僕の扱いに困っていたので、話し合いの結果「出たほうがいい」ということになり、ジブリを辞めてパステルに入社することになりました。後で高畑さんからは『ぽんぽこ』の助手に欲しかったと伺いましたが。

野口:村田さんはこの時点で何歳くらいでしたか?

村田:30の手前でしたね。僕はさっきも言ったように大学を出て会社員をしてから演助として入ったのでスタートが遅いんです。同年代はだいたい5年先輩だったので、もうそこまで来ると追いつくとか埋めるとかいった範疇でもないので、ゆっくり行こうと割り切っていました。とはいえ、演出のキャリアを積んでいきたいという欲求はあったので、演出の仕事をさせてもらえる現場がほしくて、パステルに入りました。その後、パステルの親会社のオービー企画の奥野(敏聡)(※2)さんというプロデューサーと僕を雇ってくれたパステルのプロデューサーの神田(修吉)さん(※2)が独立するという話が出て、パステルのメンバーに声をかけて。僕も含めて8人でOLMがスタートしたという流れです。社員ではないけれども、「YAIBA」の頃から総監督やってもらってる湯山邦彦(※2)さんも入ってもらって、そこで『ウエディングピーチ』(1995年)を作ったりして、OLMはどんどん大きくなっていきました。そして僕は参加していませんが1997年から『ポケットモンスター』のTVシリーズがスタートします。

(※2)
奥野敏聡……OLM創業者・代表取締役社長。
神田修吉……『ポケットモンスター』、『イナズマイレブン』シリーズなどでアニメーションプロデューサーを務める。故人。
湯山邦彦……『魔法のプリンセス ミンキーモモ』、『ポケットモンスター』シリーズ』総監督。

村田和也(アニメーション監督)

煮詰まっていた『シェンムーII』の開発現場に呼ばれて

野口:その後、ドリームキャストの『シェンムーII』(2000年)ではムービー演出を担当されていますが、どのような経緯で参加されたのでしょうか?

村田:OLMでOVA『ガンスミスキャッツ』(1995年)が終わった後に高橋ナオヒト監督のチームに入って『剣風伝奇ベルセルク』(1997年)、『To Heart』(1999年)、『鋼鉄天使くるみ』(1999年)と参加して、その次の企画までにちょっと間が空く状態になったんです。その頃ジェイ・フィルムという編集スタジオの社長の掛須秀一さん経由で、セガが『シェンムー』の2作目を作っているのだけども、映像の演出ができる人を募集していてOLMから誰か行けないかという話が来ました。僕自身は全然ゲームをやらない人間だったのですが、今でいうところのオープンワールドゲームの先駆けのような作品で、それが面白そうだなと思って今度はセガに出向したという形です。

野口:『シェンムーII』のムービー開発はどんな様子でしたか?

村田:僕はオーサリングチームと呼ばれる演出チームに入りました。そこは脚本チームから降りてきた脚本を元に、モーションキャプチャーのスタジオに行って役者さんに芝居付けをして、モーションを撮ってムービーのシーン組みをしていく部門です。それが出来上がったら監督の鈴木裕(※3)さんに見てもらって、それで指示を受けるという流れでした。僕が入ったときは、鈴木さんからのリテイクがかなりあって開発現場が煮詰まっている状態でした。

(※3)鈴木裕……ゲームクリエイター。セガに入社後、ディレクターとして『ハングオン』、『スペースハリアー』、『アウトラン』、『アフターバーナーII』などの体感ゲームでヒットを飛ばし、1993年『バーチャファイター』を発表。シリーズ化されて歴史的ヒットに。1999年『シェンムー 一章 横須賀』を発表。独立後、2019年に『シェンムーIII』を発表。

村田和也(アニメーション監督)

野口:リテイクが多いというのは当時のCG技術的に難しいのか、演技が厳しいとか?

村田:鈴木さんはインスピレーションの人なんですよ。「もうちょっと迫力出して」というような抽象的な指示が多くて、それをオーサリングチームの人たちが解釈してカットを組み直したり、キャプチャーの撮り直しをしたりするのですが、鈴木さんからはいつまでたってもOKが出ない。メンバーはみんなどうすればいいか分からなくなっている。そこでちゃんとした演出の方針を立てる人が必要だということで、アニメの演出家が呼ばれたということでした。

野口:『シェンムー』にはかなりの開発費用がかかったそうですが、その一因が分かった気がします。

村田:僕の前任として実写の演出家の方とかが入られたそうなのですが、結局実写とゲームでは進め方が違うのでうまくいかず辞めてしまったらしいです。そういう経緯を聞いていたので、監督と脚本、そしてゲーム世界が要求することの折り合いをつけて、かつプレイヤーにとって見やすく気持ちの良い何かしらをアウトプットすることが求められているのだと見通しを立てました。それでまず、たたき台として絵コンテを描いて、役者さんにも見せてそれぞれの瞬間にカメラがどっちから撮っているのかを分かりやすく示していくという形に進めていきました。

野口:絵コンテを描くことによって上手く回り出した?

村田:そうですね。NGが出ることもありましたが、それまで停滞してたところから確実にOKが出るようになって進み出した実感がありました。なにより、キャプチャーの効率が上がったのと、モーションに合わせて各オペレーターがシーンを組む時間が激減したのが大きかったです。

野口:当時、3DCGを演出するのは初めだったかと思いますが、何か勝手は異なりましたか?

村田:劇場版の「ポケモン」を手伝っていたときにCG班との接点はありましたが、ここまでガッツリやったのははじめてでしたね。絵コンテを描く際、手描きのアニメーションの場合はカメラを動かそうとしたときに、背景のパースが変わらなくてすむように工夫をする必要があるんですが、鈴木さんは『シェンムー』の第一章(1999年)の頃から3DCGであることを主張するためにギュンギュンカメラを動かしていたんです。僕はそれについては抵抗しました。CGであっても演出的に必然性のないカメラワークをつけることは見る人にとってのノイズにしかならず、そういう表現はハリウッドでもとっくに否定されていたことだったので、それは時代に逆行した演出になると。とはいえ、監督がやりたいことも分かるんです。すべてFIXのカットだったら3DCGでやるメリットが薄れてしまう。そこで、3Dでも良い感じのカメラワークを維持しつつ、押し付けがましくない演出を行なっていきました。

野口:その他に『シェンムー』ならではの演出はありましたか?

村田:『シェンムー』の特徴は、ムービーといいつつもプリレンダリングではなくて、あれはリアルタイムレンダリングされたゲームの一部なんですよ。『シェンムー』ではゲーム世界内に独自の時間が流れていて、プレイの内容に関わらず時刻が進んでいく。だから、プレイ中にイベントを発生させるときに、同じシーンでもプレイヤー次第で昼にもなれば夜のシーンにもなる。それにモブキャラが24時間勝手に行動しているのもウリのひとつだったから、そのシーンのバックにいる人達も常に変わる。なので、こちらは芝居とカメラワーク、どこからどこまでを撮るかという組み合わせを作る仕事でした。そのシーンがいつ発生してもいいように、画面映えを想定する。光源がどうなるか分からないので事前に光の効果エフェクトなどを用意できないといった意味での難しさがありましたね。

野口:よくアニメ業界とゲーム業界とでは、専門用語やスタッフの文化が違うことによるコミュニケーションの齟齬というものが発生しがちだと言われますが、そのあたり村田さんはどのように対処されましたか?

村田:3DCGということで言うと、僕の場合は松下電工時代に3Dソフトを使ってデザインをしていたので、そこは問題ありませんでした。どういう概念で空間の中に立体を形作っていくのかは分かっていたし、抵抗はありませんでした。CGのスタッフの方にどういう風に言えば伝わるかも大体分かりました。『シェンムーII』の制作において、僕らのチームはできあがったデータをキャラクターチームや美術チームから貰って、それを演出していくので、アニメの演出よりも受け身というか、フローの一部という感じでした。

野口:当時のCG業界には技術畑の人が多くて、演出をできる人が多くなかったそうです。そんな状況でCGも演出も分かっている村田さんが参加されたことで多くのものを残せたのではないかと思います。

村田:シェンムーチームのいいところは、百数十人が同じフロアにいたことでした。僕がいたムービー演出もあれば、キャラクター造形、美術造形、脚本チーム、ゲームイベントチーム、モーションチーム、と。あとはシステム開発部というプログラマーチームが30人ぐらいいて、そこではゲーム自体のプログラミング以外に、ゲームを作るためのゲームエンジンプログラムを各チーム用に作って、それが日々更新されていて驚きました。例えばムービー作りだと、カメラの調整するのが不便だと言うと、カメラが動かしやすくなるようなツールを作ってくれたりしました。カメラ付けをするのもゲームのコントローラーでや指示するのが特徴的でしたね。ゲームをする人からすると、日々手に馴染んでいるのが一番動かしやすいということなのでしょう。

村田和也(アニメーション監督)

村田監督がシナリオを初めて読む際に必ず行なうこと

野口:ここからは村田さんの制作術や演出術について詳しく聞いていきたいと思います。『正解するカド』でシナリオ打ち(合わせ)をして、一番印象残ったのは「初見の印象を大切にしなくてはいけない」と何度もおっしゃっていたことでした。初めて読んだときにその印象を必ず書き留めるようにするそうですが、それはいつ頃から意識されていましたか?

村田:やっぱり自分自身が監督をするようになって、シナリオの最終決定権を得てからですね。その理由は色々ありますが、ジブリで研修を受けていた時の宮崎さんのモノの言い方に大きく影響受けていると思います。宮崎さんって、人が描いたものを見たり、自分で画や文章を書いたときでさえ、「なんか違うな」とか「何だろう何か引っかかるね」という言い方をされるんです。それはつまり、自分の心の中の腑に落ちない感じを非常に大事にしているということなんですね。何かちょっとでも“引っかかる”としたら、そこに何らかの問題をはらんでいる。あるべき「本当の姿」みたいなものがあって、今見ているものはそれとは違うんだと、直感や理性が告げている。違和感や抵抗感と言ってもいいかもしれません。それを自分で決して丸め込まないんです。もし何かしらの理屈付けをして呑み込んでしまうと、やっぱりそれが作品の中に残って観客に伝わってしまうんですよね。アニメの脚本打ち合わせには、作品にもよりますがある程度大勢の人が参加します。その中で、みんながスルーしていることについて、あるいはみんなが賞賛している部分について違和感を唱えるというのはなかなか勇気がいります。けれど、これまで自分が監督や演出でさまざまな脚本に出会う中で、キャラクターの心情や行動として一瞬でも「これは何か違うんじゃないだろうか、本当はもっと別のことを言いたいんじゃないのか」と引っ掛かりを覚えた部分については、完成作品を観たお客さんの中に同じように引っ掛かりを覚える人が確実に存在するんです。作品を重ねるごとに確信を持つようになりました。

野口:特に近年のネット環境だと、それがリアルタイムに可視化されてしまう。

村田:そうなんです。自分だけが気になっていたのかなと思ったら、一般の視聴者の中にもやっぱり気になる人がいたんだと。だから、脚本や、絵コンテも含めて何度も読んでいくうちに自分が慣れてしまうことに対する恐ろしさがあります。初めて読んだ時に気になっていたはずのところが、一度全部読んでしまった状態で2回目3回目を読むと「なんだ、行けるじゃん」と鈍感になってしまう。でも、初めて読んだとき引っかかったという事実はそのまま残ってるんです。お客さんって初見が命なんですよね。どんなコンテンツにしろ、2回3回とリピートするというのは、初見が良かったからであって、1回観て意に沿わなかったら2回目はないですよ。だから、初見で納得や満足をしてもらえるか、それとも何か良くない引っかかりや不満を覚えて終えてしまうかで、お客さんにとっての作品の価値が違ってしまう。それと同じように、自分が初見の客として、脚本はじめ制作途上で上がってくる各種の素材に対して感じ取れるものは、2度目ではもう体験できない。だから、自分にとっても初見は勝負なんです。

野口:よく読めば分かるよとか、見返すと気づくというのはダメ。

村田:もちろん不備や齟齬、新たなアイデアなんかは、何度か読んだ後に見つけたりできることがあります。なので読み込みも大事です。でも読み込んで出てくるのはどちらかというと理屈の部分で、直感や気分の部分は読み込むとどんどん解らなくなります。またたとえば、作中に何か大きなドンデン返しがあって、結末を知った後にもう一度観ると同じシーンでも違う意味が潜んでいたことに気づくとか、そういう意図がある作品なら別です。2度目に観たときにより深く味わわせたり気づかせたりという仕込みの場合なら良いんです。でも1回目でよく分からないけど2回読んだら分かったではダメなんです。1回目で十分楽しめないとしたら、それは作り方がおかしいということです。僕は初見の際には自分がメモを取れない状況だったら読みません。最初に読んだときに、「ここ変だな?」という感触はかならず記録に残します。もしそこでスルーしてしまったら、その時の些細な引っ掛かりを忘れ去ってしまって、完成してからお客さんに教えられることになりますから。監督というのは、お客さんに対して出すものに対して最終ジャッジの責任を負う立場ですから、気になるものは確実に対処しておく。僕自身、脚本を書いたり読んだりするのは得意な方だとは思っていないので、そういうところは自分なりの気のつけ方をしなくてはいけないと思っています。

村田和也(アニメーション監督)

建築パースと光学の融合

野口:画的なところでいうと、村田さんはレイアウトに非常にこだわられているのが特徴だと思います。それはどこから来るものなのでしょうか?

村田:まずは自分が絵を描くのがとても好きなので、作中の映像は自分が気持ち良いと思う画面で構成したいということ。そして何より、レイアウトは映像作品における「語り口」を決める重要な要素だと考えているから、ということです。物語の瞬間瞬間をどういう構図で、どういうアングルで、どういうパース感で見せるかによって、物語がお客さんに伝わるときの感触が違ってきます。言葉で何かを伝えようとするときに、その語り口、抑揚や間の取り方によって伝わる印象がぜんぜん違ってくるのと同じで、映像ではカット割りで語り口を作り、その構成単位であるカットを成立させているのが構図と動きです。絵コンテでは物語の瞬間瞬間を、まずは構図の流れとして組み立てていきます。ある瞬間をどのようなレイアウトで見せ、それがどう次のレイアウトへと繋がっていくか、カットという単位で積み上げていくか。それが物語に映像作品としての姿かたちを与えていく作業になります。お客さんに観てもらうのは、姿かたちの部分ですから、そこをないがしろにしていては、映像作品が映像作品である理由が損なわれてしまいます。

野口:アニメ作品の演出家にとっての画力とは?

村田:直感的に自分の頭の中にあるイメージをある程度の絵にできるという能力がアニメの演出家には問われると思います。たとえばコンテ用紙に何となくでもキャラクターの位置関係を描いて人に見せて説明することができる必要があります。アニメの場合はそれを他の人、つまりアニメーターの皆さんに手で描いてもらわなくてはいけないので、その描き手に伝えられるだけの絵の情報を自分で描き出せるかどうかはとても重要です。そこで求められる絵のクオリティは個々人で判断基準が違うと思いますが。全然絵が描けなくても人に説明ができるならそれでも大丈夫で、要はどういう映像を作りたいのかを次の工程の人に伝えられればOK、という言い方もできます。

野口:確かに演出家によって絵そのものの細かさはさまざまです。

村田:たとえば高畑さんの場合、ご自身では絵が描けないとおっしゃっていましたが、実はパースがすごくしっかりしてるんですよ。カメラがどこにあるかがきちんと分かるようになっている。ディティールは描きこまないのですが、地面からどれくらいの高さにカメラがあるのか、キャラクターの前後の関係とか空間の構成をどういう風にしたいのかが分かる絵になっています。その意味で最低限の情報を押さえつつ、的確に人に伝えるためのコンテになっています。

野口:村田さんの場合はどうやって習得していったのですか?

村田:もともと絵を描くのが好きだったので、基本的な部分については描いているうちに無意識に習得したとしか言えませんが、それ以外で言うと、高校の時に写真部にいたので、そこでレンズの長さや画角とパース感の関係、露出や焦点深度の法則などを学びました。それと、大学のときに建築パースの描き方を習ったんですが、その方法を個人的にさらに突き詰めたりしました。建築パースの世界には図面から起こす作図の方法論があるんですが、ただ、それが写真における光学のパースと連動できていなかったのが不満だったんです。平面図をこう置いて、こうしてこうすると出来上がりますよという図学的な方法として建築パースは成立していて、実用上は問題なく役に立ってるんですが、欲しい絵を自由に表現するための手段にはなっていない。それを自由自在な、写真的・絵画的表現としても使えるように、光学的にも成り立たせたかったというわけです。

野口:それはどういうことでしょうか?

村田:建築パースは基本的に二点透視図法なんです。平面図に対して視点を設定して、視点から図の各部を通過する投影線を引いて、それをパース画の水平線にあたる線に投影して、立ち上げる。とても効率的だし、やり方がシンプルなので覚えやすいというメリットがあります。しかしそのやり方の中には、「レンズの長さ・画角」「フレーム」という概念がなくて、さらにアオリが強くなっても3つ目の消失点は絶対に発生しない。3つ目の消失点については単に効率だけではなくて、建築の世界独特の美意識も関係しています。建築パースに限らず、建築写真の方でも垂直なものは画面の中でも真っ直ぐ垂直に描画されるべきだという考え方があって。建築雑誌などを見てもらえると分かるのですが、そこに載っている建物の写真はみんなアオリパースがなくて鉛直のラインが水平線に対して全部垂直です。アニメのレイアウトも一般的に二点透視図法で収めることが多くて、それはカメラを水平に近く構えることが多いということもあるので概ね間違いではないんですが、光学的に考えるとレンズ軸が水平から上下にズレると本来は鉛直方向のラインにパースがついてしまうんですね。つまり三点透視図法になる。その3点目の消失点の発生位置はレンズの理屈の上で絶対決まっているはずなんですが、これまで図法として求める方法がなかった。それを僕は一つの普遍的な理屈としてまとめたかったっていうのがあって。

野口:それをやると実写的な画作りになるということ?

村田:そうです。空間描写としてリアルになるということです。でも作品によっては理屈に正直にやり過ぎるとパースがクドく感じられる場合もあるし、絵として手描きの嘘パースの方が気持ちがいい場合もある。そこも美意識の問題で、極力パースがついてほしくないというか感じさせたくない作品もあるので、万能ではないです。たとえば高畑監督の『おもひでぽろぽろの』思い出編は極力パース感を排除したいという意識で作られています。小津安二郎監督の『東京物語』では、カメラを水平に構えて、日本家屋の障子の縦と横の格子がきっちり垂直、水平に映るようにパースを殺している。高畑さんはそれを『おもひでぽろぽろ』の画面作りにも生かしたいということで、中途半端に斜めにつくようなパースは極力排除されています。

野口:なるほど。

配置図からの立ち上げ

配置図からの立ち上げ

村田:僕はずっと日々の仕事の中でパースについて考えてきて、ちょうど『コードギアス』をやっている頃に、三点透視図法の3点目が、実はレンズ軸という概念を取り入れることで定まることに気がついたんです。3つの消失点というのは空間における立体の3軸が無限遠で到達するポイントです。立体であるということは、上下・左右・前後という互いに直角に交わる3つのベクトルがあるということで、その3つは空間に対して互いに等価であるはずなんです。だから、水平方向の2つの消失点が主役で3つ目の消失点がオマケみたいな存在であるはずがない。ではその3つのバランスを規定している要素は何かと考えていったら、レンズ軸のベクトルと投影スクリーンしかないということに気づいたんです。レンズの軸というのはレイアウト上では基本的にはフレームのセンターに位置します。だから、フレームに対して1点目と2点目の位置が決まれば、そのフレームのセンターを使って3点目が導き出せるということが分かったんです。

野口:CGだとそれはそのまま?

村田:CGだと考えるまでもなく自動的にそうなってます。CGはあるひとつの視点から見た点の集合体をスクリーンに投影するということを計算でやっている、というか、それが3D画像の基本原理でもあるので、作業者は考える必要がないんです。でもアナログの手描きの世界では、それまで定規と紙を使って導き出す方法としては確立されてはなくて、勘と経験に頼っていた。けれどそこには絶対に理屈があるはずだっていうことで。でも、考えた末に思い至ってみれば、あまりにもシンプルな理屈で驚きました。

野口:村田さんがそれを理論化したということですね。逆にCGレイアウトになると楽になるんですか?

村田:情報量が大きい背景やパースが複雑なレイアウトの場合は圧倒的に楽になります。ただCGレイアウトの方が大変なところもあって、絵コンテ時にイメージしたような感じの構図に調整したいときに、場合によってはモデリングまでいじる必要があることです。複数のカットで共用しているモデルをある特定のカットで調整しはじめると、他カットで不整合が出てしまったりして管理するのが大変になってしまいます。実写でも、カットごとにちょっとずつモノをずらして撮るということがあります。例えば、寄りの時と引きのときで役者の身長バランスを変えて、寄りの時は下駄履かせるみたいなことは昔からされていました。2D慣れした演出家がCGを使う場合、どうしても絵コンテ時に想定した「欲しい画」にもっていきたいので、美術とキャラクターの形状が決まっている中で無理くりにアングルを決めるという作業を強いられて、思っていた通りの画面にならないことに苛立つこともあったりします。

野口:そうするとモデルを変えなくてはいけない。

村田:そうです。逆に、特に美術モデルについては、可能ならばモデリングの際にその時点ですでに、想定されるカメラを空間内に置いた状態で行うべきだと思います。その段階でレイアウトがうまく成立するように造形する。モデルがこれでOKとなってから形をいじると混乱のもとになるので、なるべくそうならないようにしたいですね。あとは、なるべくカメラで調節する。手描きレイアウトの場合はオブジェクトの形状をカットごとに調整するのは自由自在なので楽ですが、逆に、レイアウトのアングルを変えたいとなると一からの描き直しになって大変なことになります。その意味でCGではカメラの微調整が後からできるし、複雑な画面であればあるほど、そのメリットは大きくなります。

野口:レイアウト専用のカメラオペレーションソフトがあるともっと便利にCGが利用されるようにも感じます。3DCGソフトのMayaや3ds Maxでできることはできますが。

村田:僕から3DCGソフトの開発さんにぜひお願いしたことがあって、それは水平線と消失点を表示する機能を付けてほしいんです。Mayaも3dx Maxでも地面をなるべく遠くまで延長して近似的にその水平線や消失点を表示するしかないんですね。手描きの側からすると、ちゃんとしたパースの絵を描こうと思ったら水平線と消失点を決めないと描けないので、3Dレイアウトに水平線と消失点が表示されず曖昧だと作業がすごくしづらいんです。逆に、手描きレイアウトから3Dレイアウトを起こしてもらう場合でも、手描きレイアウトにある水平線や消失点が3D画面上では表示されないのでオペレーターさんがパッと合わせられない。2Dと3Dの橋渡しをする上で、これは必須なんです。

3点透視図

3点透視図

村田:難しいことではないはずです。表示されている線の無限遠を規定するだけなので。計算で出すか、あるいは単に描画されている線を延長して交わるところがそうだというのでもいい。そうすれば、3Dの人も消失点や水平線という絵を描く上での必須の概念を習得できると思いますし、2D側の人間とも話が通じるようになります。手描きレイアウトとの整合もとりやすい。今、共通言語の一番中心的な部分が抜け落ちてるからお互いに話がしにくい状態になってると思うんです。

被写体の見かけ上の大きさとカメラとの距離

被写体の見かけ上の大きさとカメラとの距離

あと、3DCGソフトにはもう1つ大きな注文があって。レンズの画角を言う時にミリ数はもうやめたほうがいいと思うんですよ。あれはフルサイズの35mmフィルム相当のスチルカメラで換算した数字に過ぎなくて、今のデジカメってフルサイズじゃない方が多いから、実感が伴わないんじゃないかなと。50mmレンズが標準レンズ画角なのはフルサイズカメラだけ。だから受光素子がハーフサイズだったら、50mmで撮ってもフルサイズの100mm相当になってしまうんですよ。そんな現状においてミリ数で表示しても何を根拠にこの数値になっているのか分からない。だから僕は画角での表示を望みます。対角線画角(フレームの左端上から右端下までの角度)でもいいですが、アニメの現場的には水平画角(フレームの左端から右端までの角度)で表記した方がありがたいです。水平画角何ミリという度数表示にした方が万人に分かるような表示になると思いますので、ぜひとも検討していただきたいですね。

村田和也(アニメーション監督)

24コマのストップウォッチの製作

24コマのストップウォッチ
(写真提供:村田和也)
24コマのストップウォッチ

野口:シナリオ開発の件、パースの件とともに、村田さんと言えば、24コマのストップウォッチ(※4)を以前に製作されたと聞いていたのですが。

(※4)24コマ=1秒間の単位で計測するストップウォッチ。24コマは映画のフレームレートに基づく。アニメは24フレームで制作され、TV放送の際に30フレームに変換される。一時期、30フレームでの制作も試みられたが取り回しが難しく、廃れた。

村田:アニメ業界に入った時に、24分の1秒を計れるストップウォッチがないことが一つの驚きでした。アニメ表現において基準となる24分の1秒という尺を計測する機器がない。皆さんどうしているのかと。調べると、スタッフの皆さんが使われてるのは一般の市販品で、アナログだと5分の1秒か10分の1秒計、デジタルだと100分の1秒計で、いずれも近似値でしか計測できません。建築の分野だと図面の縮尺ごとの専用の寸法を刻んだ三角スケールという定規があって、いちいち換算しなくて済むようになっています。建築とアニメでは産業規模が違いすぎるので比較するのは無理がありますが、それでも専用の計測機器がないのは不便だなと思いました。
ところが、ある時ストップウォッチの業者さんから、いろんな業界で使う特殊なストップウォッチを特注で作っているという話を聞いたんです。ちょうど『海が聞こえる』を作ってる頃です。僕は演出助手で、作画監督の近藤勝也(※5)さんに「ストップウォッチ屋さんが、文字盤があれば24分の1秒計が出来るって言ってるんですよ」って言ったら、「作ろう作ろう」ってなって(笑)。初期費用は近藤さんに援助してもらったりしました。

(※5)近藤勝也……アニメーター。スタジオジブリ作品を中心に活躍。『魔女の宅急便』、『おもひでぽろぽろ』、『崖の上のポニョ』などで作画監督を務める。

野口:そのストップウォッチ屋さんというのは、専門の業者さんか何かですか?

村田:研修生の頃、アナログ式のストップウォッチを買いたいなと思っていろいろ探していたところ、上野にストップウォッチの製造・卸しを専門にされている古いお店を見つけたんです。他の研修生にも紹介してそこでいくつか買ったので、その後もわりとそこと懇意にしていたんですが、ある時その社長さんとお話する中で、専門的なストップウォッチの製造を特注でしてくれることが分かったんです。例えばそのお店では、工場での生産管理とか研究機関用に、1分間を100等分したストップウォッチとか1秒間を25等分したストップウォッチとか作られていて。

野口:ストップウィッチにもいろいろなニーズがあるんですね。

村田:それで、「1秒を24等分だったらアニメ業界で使えるんですけど」という話をしたら、「文字盤があれば作れるよ」と言ってもらえて。文字盤って、実際のサイズの6倍寸の原版を紙で作ってそれを写真製版して印刷してるらしいんですね。それで自分でケント紙買ってきて烏口とインクで文字盤を書いたんです。タイムシートに合わせて一周を6秒にしたかったので、360度をまず6で割って、さらに24等分して、数字とロゴはインレタを貼って、それを原版にして作ってもらいました。最初はジブリの中で希望者を募って発注してたんですが、そのうち業界内にかなり広まって。フリーになってからあちこちのスタジオで仕事しましたが、いろんなところで使ってもらってました。今でも宮崎さんとかベテランの人は使ってくれていると思います。でも機械式ストップウォッチの部品の供給がなくなってしまい、新規にはもう作れなくなっています。その後、JAniCA(※6)さんの協力でスマホアプリにしたものを出してもらったんですが、こちらもアプリメーカーさんの事情でOSに合わせた更新はもうやっていません。

野口:日本のアニメーション作品は、映画であれTV作品であれ24コマで制作されていますから、このようなストップウォッチは重要ですよね。

村田:余談ですが、この24分の1秒計のロゴになってる「CRO■GO」っていうのは、黒子このことで「アニメーターは黒子である」という勝也さんの発案です。

(※6)JAniCA……一般社団法人日本アニメーター・演出協会

24コマのストップウォッチをスマホアプリにしたもの
写真は、JAniCAの1/24秒計ストップウォッチの類似アプリ「Wariken」現在、iOS、Androidアプリとしてリリース中。
なお、こちらはJAniCAも村田氏も一切関与していません。

日本語のリズムに依る3コマ打ちと、CGアニメの未来

野口:CGアニメーションについて最後お聞きしたいのですが、日本のCGアニメーションの方向を考える上で、CGらしく1コマ打ちのフルアニメーションが良いのか、それとも手描きに準じた3コマ打ち(1秒間24コマを3コマずつ8枚の画で描画する方法)と、どちらが良いと考えられますか?

村田:コマ打ちだけで言うと絵の枚数が多い1コマ打ちの方がスムーズに見られるし、トータルとしての表現力も増します。アメリカをはじめ海外のCGアニメは基本的に1コマ打ちだと思います。2コマ打ちは、例えば手描き時代のディズニーや東映さん初期の劇場長編は基本2コマで、これを「フルアニメーション」と呼んで基本にしてました。手描きで1秒あたり24枚の絵を描くのはあまりにもたいへんで、12枚でもスムーズに見えることからそこに落ち着いたんだと思います。動きがスムーズに見えて表現力もあり、かつ実写的ではないアニメ特有の感触を生むという点で、2コマ打ちはとても優れたコマ打ちです。
それに対して3コマ打ちはテレビ用に生み出された枚数節約のためのコマ打ちで、動きがカクカクした印象があり、慣れた目で見ると1枚1枚の絵が見える粗さがあります。4コマになるともう一連の動きとして認識するのがつらくて、これは特殊な理由がないと使いません。というようなことからテレビは3コマに落ち着いています。
で、この3コマ打ちによる表現なんですが、その歴史の中で独自の美意識みたいなものを生み出しています。1枚ごとの絵が目に残る特徴を逆手にとって「いい絵を連続で見せる」。そのことで生み出される独自の快感があるんですね。なのでそこにこだわるアニメーターの人も沢山います。アクションシーンなどの動きが速くて多いところでもあえて3コマで表現したり。
ではなぜ3コマにその快感が生まれるかというと、3コマ=1/8秒、1秒8拍というリズムが、日本語の発話のリズム感にリンクしていているからではないかと思っています。

野口:それはどういうことでしょうか?

日本語では子音単体で発音することがなくて、母音単体か子音と母音がワンセットかのどちらかなんですが、その音節の発話速度は平均すると1秒間に8音、1秒8拍のリズムでしゃべっているということになります。つまり3コマ打ちのリズムと同じでしゃべってるんですね。なのでアニメのセリフで口パクを3コマ打ちでやると、ちょうど秒間8枚のリズムで口の形がが変わる。完全にリズムが合致しているというわけです。口パクって、開き口・閉じ口・中間口の3種類があって、それをランダムに置くことでパクパクして喋ってるように見せてるんですが、発音と絵の置き換えのタイミングがリンクしてるから枚数が少なくても自然に映るのではないかなと。で、この発話リズムって単純に日本語の言語としての特性だけではなくて、口の構造や呼吸器官をはじめ、人間の体全体の生理的な制約から来ているものだと思うので、そういう意味では日本人だけではなく他の国の人たちにとっても親和性の高い表現として受け入れられる可能性を秘めていると思います。

野口:なるほど。省力化だけが3コマ打ちになった理由ではないと。

村田:まあ結果論ですけどね。あと、CGに関しては、同じコマ数の打ち方であっても画面のルックが写真的であるか絵画的であるかによって、印象が変わると思います。写真的なルックのCGだと現実に近い印象があるから、見る側もスムーズに動くことを無意識のうちに期待してしまう。絵画的なルックであれば、静止していることを無意識のうちに期待している。止まっている側を前提とするんであれば、コマ打ちが荒くても受け容れられる、あるいはコマ打ちが荒い方が感じが出る、という気がします。逆に写実的なルックで荒いコマ打ちだと、無駄にカクカクして見える傾向があると思います。あと輪郭線の有無は大きいですね。人間の脳は物体の位置と形をとらえるために、無意識の中で現実世界には存在しない輪郭線を検出していますが、最初から輪郭線がある画については、「描かれたもの」であるという意識が強くなるので動きが荒くても良いと判断する。輪郭線がないものは認識するのに時間がかかるので、コマ打ちが荒いと、さらに荒く感じるという傾向があります。

野口:モーションキャプチャーについて、村田さんはどのように考えていますか?

村田:使い方は目的次第だと思います。キャプチャーはモーションアクターさんに直接演じてもらうので、アニメーターの手ではつけられない微妙な動き、あるいは頭では思いつけないイレギュラーな動きが得られるというメリットがあります。また収録した時点でキャラクターの芝居としてはいったん完成したと考えることができるので、手付けアニメに対して掛かる時間が圧倒的に少ない。デメリットとしてはアクターの方の固有性・個人性に依存してしまうところ。実写の場合はキャスティングした役者さんの個性・身体性に全面的に依存することが作品の表現であり価値になりますが、キャプチャーの場合は一人のアクターさんが何人ものキャラを演じ分けたり、逆にあるキャラを複数のアクターさんが演じたりもするので、アクターさんイコールキャラクターという図式にはならないんです。つまり、そのアクターさんがそのキャラについてのベストキャスティングだと言える状況を作るのが難しい。その点に関しては手描きアニメーターと描かれるキャラの関係性に近いものがあります。

野口:今はいろんな分野で需要がありキャプチャースタジオがフル回転みたいですし。

村田和也(アニメーション監督)

村田:だからキャラごとにアクターさんを選べない場合は、手描きアニメにおける作画監督チェックみたいなことが後の工程として必要になる気がします。演ってもらったものをベースにしつつ、後で加工することを前提にするという。ただ、加工しても生身の人間が演じている以上、その人が持っている特有の生っぽさは必ず残りますし、その癖と実在感が制約になっている場合もあるかなと。つまり、アニメ表現としてはひょっとしたらそれ以上があるかも知れないのに、その追求がそこで止まってしまっているんではないかという懸念があって、それをデメリットとして捉えています。ということから、今後のやり方としては二つのベクトルがあると思っていて、ひとつは特定のアクターさんの固有性を前面に引き出して、その個性を追求した芝居づけをするという、表現のクオリティ志向の方向。もうひとつは、どんなアクターさんがどんなキャラを演じても納得がいくように調整できる普遍的なモーション作りの仕組みをするという、効率化・量産化追求の方向。アクターさんの色々な瞬間のモーションを、どんどん機械学習して蓄積させていって、人間における各種の動きの普遍的なパターンを作れるようにして、それを作業のスタートラインにできるようになるといいかなと。例えば、歩くという動作のデータをストックして、パラメータを調整することによって、気分や体調の良し悪しや、体格、体重の違いなどを自由自在に表現していけることが起こっても良い。それはモーションキャプチャを繰り返した結果としてしか生まれないことだと思うので、そういう意味では僕はどんどんモーションデータをアーカイブ化していってほしいです。生データとして使うのではなく、ビッグデータのための素材として。それは手付けアニメーションのデータを蓄積するのとは別な価値があると思います。

野口:作画をシミュレートするCGではなく、CGならではの表現を作るためにデータベースを作って活用していく。

村田:そう。選択肢のひとつとして。完全な手付けアニメーションは、もちろんそれ自体は一つの表現として価値があるので、無くなることはないと思います。手付けによる表現能力の高い3Dアニメーターの人は当然いるだろうし、これからも出てくるでしょう。手付け専門とキャプチャ専門を分けて断絶するのではなくて、兼任したり人材の行き来があっていいと思います。『シェンムー』でスゴいなと思ったことがひとつありまして、キャラの動きは基本的にはモーションキャプチャーのデータを使うのが前提の作品だったんですが、当時はキャプチャーの精度が高くなかったからノイズが結構乗ってしまって、モーションチームの人たちは日々そのモーションデータを整理して動きをきれいにするという作業をしてたんですね。そのなかで、キャプチャーデータがなくても一から手付けで実写的なモーションを付けられる人が育ってきたんです。普段見ているキャプチャーの動きより生々しかったので「何? この動き」って聞いたら、「全部手付けです」って(笑)。

野口:(笑)。インプットからの学習がものすごいから。

村田:そういう人たちにとっては、手付けのモーションはアニメ的な発想からくるのではなく、実写的な動きに基づいた発想なんですね。そういう能力に長けた人は、いくらでも「モーションキャプチャー風」のアニメーションを作れるという(笑)。もちろん、経験豊かなチーフクラスではありますが、人間ってそういう成長の仕方をするんだなと思いましたね。

野口:それをコンピューターにディープラーニングさせればいい?

村田:それもいいし、作品づくりに使えるかどうか分かりませんが、人体シミュレーターみたいなもの作って、人体が動くとしたらどういうふうに動くかを作ってもいいと思います。要は自律的に動く精巧なデッサン人形ですね。「立ち上がってドアまで行って」という指示を出せば、それを実際の人間のように行動するとか。キャラクターモデルとしてそれぞれ個性を持ったCGの仮想人体があって、脚本とコマンドによって行動の内容やその時の感情の指示をすれば、キャラクター達が勝手に演じてくれるという作品もあっていい。ハードルはめちゃくちゃ高そうですけどこれから出てくるべきだと思うんですよね。AIの発達の歴史の通過地点としてはそういうのがあって良いと思う。誰か技術のある人、やってくれないかな(笑)。

野口:モーションデータ集めてAIみたいなのをやろうとしている人たちはすでにいますね。

村田:そうなんですね。その意味で僕は3DCGの表現って、まだまだ黎明期だと思います。表現としては実写と区別がつかないところまで至っているものの、できることの上限は未知数だし、今後もマシンの速度はどんどん上がっていく。これからできることは確実に増えていくだろうし、さまざまな人がいろんなことをやればいいと思います。そうすることでお客さんにとって楽しめるポイントはどんどん広がるんじゃないかと。手描きでも実写っぽいものでも「この映像は一体どうやって作ったんですか?」という作品がもっとあっていい。まだまだ、「3DCGはこういうところに落ち着くべき」という時代ではないと思いますね。

村田和也(アニメーション監督)

村田和也

アニメーション監督。大阪府出身。松下電工(現・パナソニック)に就職した後、退社し、スタジオジブリの演出研修制度の第1期生となる。『おもひでぽろぽろ』『海がきこえる』などに参加した後、スタジオジブリを離れる。制作会社オー・エル・エムの設立に参加した後、フリーとなり『プラネテス』(演出)、『交響詩篇エウレカセブン』(演出)、『コードギアス 反逆のルルーシュ』(副監督)などに参加。映画『鋼の錬金術師 嘆きの丘(ミロス)の聖なる星』で劇場初監督を務める。その後、『翠星のガルガンティア』(原案・監督)、『正解するカド』(総監督)、Netflix配信作品『A.I.C.O. -Incarnation-』(原案・監督)、YouTube配信作品『約束の七夜祭り』(原案・監督)などがある。

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INTERVIEWER : 野口光一(東映アニメーション)
EDIT : 日詰明嘉
PHOTO : 弘田充
LOCATION : 東映アニメーション

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著者

野口 光一

野口 光一

東映アニメーション
企画部 プロデューサー

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