トレンド&テクノロジー / 3DCG の夜明け 〜日本のフル CG アニメの未来を探る〜
第3回:板野 一郎 氏(演出家/アニメーター)

2014.05.07

  • アニメ
板野 一郎 氏
板野 一郎 氏

板野 一郎 氏(演出家/アニメーター)

日本におけるフル3DCGアニメーション制作への理解と振興を目指す本連載。今回はTVアニメシリーズ『超時空要塞マクロス』(1982〜1983年)や、特撮映画『ULTRAMAN』(2004年)などにおけるアクロバチックな戦闘シーン、通称「板野サーカス」で知られる板野一郎氏にご登場いただく。板野氏は1970年代後半から今日にいたるまで、アニメを始めとする映像制作に携わり続けてきた。OVA『マクロスプラス』(1994〜1995年)以降は表現の一部に3DCGも導入しており、現在は株式会社グラフィニカで作画と3DCG、両分野の後進育成や指導に当たっている。そんな板野氏に、これまでの3DCGとの関わりや今後の展望を語っていただいた。

【聞き手:野口 光一(東映アニメーション)】
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作画も3DCGも誰かがパイオニアになる必要があった

東映アニメーション/野口光一(以下、野口):私たちの世代は「板野サーカス」と聞けば80年代の『超時空要塞マクロス』が真っ先に思い浮かぶのですが、今の10〜20代に聞くと「板野さんと言えばウルトラマン」と答える人が多いらしいですね。2004〜2006年の3年間に手がけた『ウルトラマン』シリーズのVFXで、板野さんは特撮の世界に3DCGを使った板野サーカスを浸透させました。それに前後して、アニメ制作でも積極的に3DCGを導入してこられた。作画だけでなく、3DCGアニメのパイオニアでもある板野さんの軌跡や今後の展望を、ぜひお伺いしたいと思っています。

板野 一郎 氏

板野 一郎(以下、板野):最初に3DCGを使ったのはOVA『マクロスプラス』(1994〜1995年)で、それから徐々に使う割合を増やしていき、戦闘シーンのほとんどを3DCGにしたのが『マクロス ゼロ』(2002〜2004年)でしたね。私が使い始めた頃の3DCGは背景動画の代用品、つまりは大道具の役割しか期待されておらず、それを変えたいという思いがありました。「アニメもゲームも好きだけど、絵が描けない。だから3DCGをやっている」という人たちが多くて、好きな気持ちは同じなんだから、彼らにもメカやキャラクターのアクションを表現できるようになってほしいと思ったのです。その一方で2D(作画)の制作体制がどんどん疲弊し始めていたので、既存のやり方を変えようと試行錯誤していましたね。

野口:従来の作画主体のシステムでは、いずれ立ち行かなくなるという危機感があったのしょうか?

板野:「大変なものを描くのが嫌だ」という若いアニメーターが増えてきて、ジェネレーションギャップに驚きましたね。私が『伝説巨神イデオン』(1980〜1981年)や『超時空要塞マクロス』をやっていた時代は、1枚のセル画に全部描き込んで、4,000枚をフルに使って動かしていました。ところが、次第に何枚もセル画を重ねて描き分けないと表現できない人が増えてきた。4,000枚しか使えないことに変わりはないから、実際に動かせるのは1,000枚だけとか、そういうアニメが多くなっていったのです。

野口:例えば画面いっぱいに何十本とミサイルを飛ばす場合も、1枚に描いていたのでしょうか?

板野 一郎 氏

板野:ほとんど1枚です。手前のミサイルは1コマ、真ん中は2コマ、奥は3コマと、ミサイルの位置によってコマ数が違う(注 / 1秒間に表示する絵の枚数が違う)のですが、全部1枚のセル画に描いていました。例えば1本のミサイルでも、手前から奥へ飛んでUターンして戻ってる場合は、位置によってコマ数が変わるわけです。そういったミサイルも、一緒に出てくる戦艦や飛行機も、全部1枚に描いていました。

野口:凄いですね……。それは板野さんクラスのスーパーアニメーターと呼ばれる人たちでなければ描けないと思います。でも3DCGなら、そこまでの天才的な腕をもっていなくても表現できますよね。

板野:できます。だから作画だけでなく、3DCGも併用する必要があると思ったのです。作画に大きく依存していた当時のシステムでは、上手いアニメーターにだけ仕事が集中していたのです。しかも「この前より、もっと凄いものを描いてくれ」という要求が際限なく出される。病気で倒れるまで働き続けて、せっかく育てた人たちが最後には疲れて田舎に帰ってしまうという状況が凄く嫌だったのです。

野口:しかも動画を海外に出すことが常態化してからは、次世代のスーパーアニメーターが育ちにくい環境になっていますよね。

板野:だから未だに当時の世代が業界を支えているのです。動きの上手い人の原画ほど動画枚数が多くなるので、仕上げも含めて海外に出してしまう。一方で、日本人は丁寧だからという理由で、国内の若手は綺麗な止め絵のクリーンアップばかりを依頼される。良い動きの原画に触れるチャンスがないから、動きのセンスが養われない。しかも殆どのアニメーターは1枚何円の出来高払いなので、今月の家賃を払うために何枚やろうという発想になってしまう。クリエイティブな感性を養うといった次元ではなく、原画と原画を補間する線を綺麗に引くという作業を淡々とこなす、まるで内職をするような感覚になっていく。そんな調子だと、いつまでたっても原画を描けるようになれないですよ。

野口:3DCGの場合、基本的に月給などの時間で計算しますが、作画の場合は出来高で計算する会社が殆どですからね。そういう背景があったから、『マクロスプラス』以降は3DCGの方向に舵を切っていったのでしょうか?

板野:『超時空要塞マクロス』の時代から一緒にやってきて今も作画の世界で頑張っている人たちは、しっかりと一本立ちしています。私1人が抜けても全く問題ありません。一方で、私を慕って付いて来てくれる新しい人たちに対しては、継続して仕事を与えられないことを実感していました。大変なものを描くのが嫌で、目先のことしか見えていなくて、打たれ弱い、ゆとり世代の彼らの先々を心配することが、日本のアニメ業界の将来のためには必要だろうと思ったのです。

野口:だから若い人たちと一緒に3DCGを使い続けてきたわけですね。ターニングポイントになったのは『マクロス ゼロ』でしょうか?かなりの物量の飛行機を3DCGで表現したのに加え、セル画調ではないルックにもチャレンジなさっていましたよね。

板野:はい。誰かがパイオニアになって、3DCGを使ったジャパニメーションを見せる必要があると思っていました。そうしないと、「無理だ」という思い込みに捕らわれて、みんなやろうとしないのですよ。『超時空要塞マクロス』の時だって、宮武一貴さんや河森正治さんがデザインした、あんな複雑なロボットや流線型の飛行機をTVシリーズで動かすなんて不可能だと、自分も含めて全員が思っていましたから。

野口:けれども、やってのけたわけですよね。

板野 一郎 氏

板野:自分だったらどこまで動かせるかという、チャレンジ精神だけでやっていました。でも地獄のような日々で、1話と2話のメカニックは全部描き直しました。その後も半年間アパートに帰れず、ついには倒れて入院してしまい、さすがに後悔しましたね。ようやく帰ってみたら「今すぐ出て行け」と言わんばかりの勢いで、郵便受けに住宅情報誌が6冊も刺さっていて、バベルの塔みたいでしたよ(笑)。

野口:壮絶ですね……。ちなみに、今のアニメ業界でそんな仕事をしているところはないですよね?

板野:3DCGでも作画でも、そこまでの会社はありませんね。

芝居やレイアウトのセンスを鍛えれば絵描き並の画を作れる

野口:板野さん自身が3DCGツールを使うことはあるのでしょうか?

板野:使わないです。もし使えるようになったら全部自分でやりたくなるので、演出に徹しています(笑)。作画では、思ったような絵が仕上がらないと「ふざけんな!」って言いながら破いて自分で描き直していました。でもそうやって自分が作業員になると、面倒くさいうえに全体を見る余裕がなくなる。3DCGの場合は途中段階の画を見ながら、芝居やタイミング、カメラ設定などを具体的に指示できます。だから3DCGの方が演出家としての仕事をしっかりできると感じますよ。

野口:作画の場合、絵コンテやレイアウトが確定した後は、仕上がったものを見るまで意見を言うチャンスがありませんからね。『マクロス ゼロ』や『ULTRAMAN』(2004年)の時代から、3DCGに対しては演出家として接してこられたのでしょうか?

板野 一郎 氏

板野:そうです。アイレベル(注 / シーンを撮影するカメラの高さ)を下げようとか、カメラレンズを何ミリにしようとか指示する、カメラマン兼、演出家のような役割です。3DCGの人たちは大半が絵を描けないけど、芝居やレイアウトのセンスを鍛えていけば、絵描き並の画作りができるようになるのです。高杉晋作が作った奇兵隊みたいなものですよ。百姓だって鉄砲を持てば軍隊になれる、武士だけが偉いんじゃない、絵描きだけが偉いんじゃないってね。

野口:板野さんがおっしゃると、インパクトがありますね。

板野:作画のうまい人たちのなかには、3DCG の嫌いな人が結構いますからね。でもジャパニメーションのレンズ効果や、空間と時間軸のデフォルメを伝えられる人間が指導すれば、3DCGはもっと信頼されるようになる。それを証明したくて、一連の『ウルトラマン』シリーズでは円谷プロダクションのCG班と合成班をイチから鍛えていきましたね。小中和哉監督からのオファーで参加したものの、最初の頃は特撮の操演担当のなかにも3DCG嫌いの人が多くて、「飛行機は(ミニチュアを)吊りたい」と言われましたよ。でも実際には予算がなくて、3DCGに頼るしかなかった。そんなアウェーな環境のなかで、人を育てながら結果を出していったら、後半は「飛行機は3DCG でお願いします」と言ってもらえるようになりました。

野口:まずは映画の『ULTRAMAN』から始めて、TVシリーズの『ウルトラマンネクサス』(2004〜2005年)、『ウルトラマンマックス』(2005〜2006年)、『ウルトラマンメビウス』(2006〜2007年)を連続して手がけたわけですね。

板野:『メビウス』は映画の『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』(2006)もやりました。子供たちは自力でお金を払って映画館に来れないから、TVでやって見せることが重要なのですよ。TVの『メビウス』を見た子供が「映画館に行きたい」とせがみ、お父さんを連れて映画館に来てくれる。お父さんは子供の頃に見た『ウルトラマンタロウ』(1973〜1974年)みたいな映像を想像して来るんだけど、実際には全然違う内容で、「え〜、マクロスの板野?!」と驚く。世代を繋ぐ共通の話題でもって親子の会話が弾めば良いなと、当時はそんな展開を目論んでいました。そこそこは達成できたと感じていますよ。

野口:そうやって実績を積むことで3DCGの信頼性を高め、徐々に浸透させていったわけですね。お陰で特撮にしろアニメにしろ、今では3DCGが大きな比重を占めるようになっています。

板野:使える予算やスケジュールは限られていますから、3DCGのお陰で助かっている部分は大きいと思いますよ。一連の『ウルトラマン』後にやったTVアニメの『ブラスレイター』(2008年)でも、1話当たりのセル画は4,000枚、カット数は300までと言われました。だから50くらいは繰り返し使う兼用カットにして、トータルのカット数を350まで増やした。それから作画だと手間のかかりそうな背景動画、キャラクターやミサイルなどの派手なアクションは3DCGにしました。その結果、セル画の4,000枚は微妙な表現が要求されるキャラクターの日常芝居に投入できたのです。最終的には、全部を作画にすれば12,000枚くらいは必要になるだろうアニメを実現できました。

野口:そういった作画と3DCGの使い分けが、今では当たり前になっていますね。

板野 一郎 氏

板野:一人が突破口を作ると、「なんだできるじゃない」って追従してくれる人たちが現れるのです。『ブラスレイター』の時も、最初は「TVの予算では無理だろう」と言われましたからね。だけど創意工夫をすれば、ハリウッド映画のような横綱相撲はとれなくても、舞の海(注 / 90年代に活躍した小兵力士の代表格)くらいの相撲はとれるのですよ。

野口:もともと板野さんがアニメの世界に入られたのも、『宇宙戦艦ヤマト』(1974〜1975年)などを見たことがきっかけだったそうですね。アニメだったらハリウッドに勝てるだろうと…。

板野:勝てるとは言ってません。戦えると言っているのです。あの頃以上に、ハリウッドとの差は開いていると思います。そんな状況だからこそ、森田修平監督の『九十九』みたいな日本独自のテイストで勝負するとか、『アンパンマン』や『サザエさん』のような簡単な形のキャラクターを3DCGで効率よく表現するとか、そういった工夫が必要ではないでしょうか。プリプロダクション段階での設定や舞台作りには時間がかかりますが、キャラクターや、街、部屋などを一通り3DCGで作り込んでしまえば、それ以降の制作負荷は毎回作画するよりも小さいと思います。そうやって3DCGの良い部分を上手く使い、海外市場も視野に入れて作っていくべきでしょう。そんな提案ができるセンスを持ったプロデューサーが出て来ないことが歯がゆいですね。

野口:はい。すいません…。

板野 一郎 氏

板野:日本の子供の数は減っているわけだから、海外に出て行くしかないと思うのです。その場合には、コマ数だって見直した方が良い。日本のアニメで育った人は3コマでも違和感がないですが、アメリカやイタリアのバイヤーに見せると「なんで動きがカクカクしているんだ」とか「喋りと口パクのタイミングが合っていないのは変だ」とか言われますからね。クールジャパンと言いつつ、まだまだ胃の中の蛙にすぎない人が多いのが現状ではないでしょうか。

野口:そうすると、少なくとも3コマではなく2コマで作った方が良いだろうと?

板野:日常芝居は2コマで問題ないでしょう。ただし、カメラがミサイルを追いかけるような付けパンになると、1コマにした方が良いですね。口パクだって、せめて「う」とか「お」の形は必要だと思います。私が作る場合には、特徴のある台詞の部分では枚数を増やすようにしています。

何よりも人が宝で、人を育てなきゃいけない

野口:『マクロスプラス』の時代から今日までの間に、板野さんは数多くの3DCGアニメーターやコンポジター(撮影)を育ててこられた。お陰で業界のあちこちに門下生がいらっしゃいますね。

板野:『ウルトラマン』の頃に教えた何人かはチーフクラスになっていて、アクション主体のアニメを手がけていますよ。当時は月1回ペースで、板野塾というのをやっていたのです。朝、昼、夕方、夜といった感じの入れ替え制にして、所属会社を問わず、都合の良い時間帯に参加できるようにしていました。その時々に手がけているカットを持って来て、私のアドバイスを受けて帰っていくのです。

野口:絵コンテやムービーを見ながら、アドバイスをなさっていたのでしょうか?

板野 一郎 氏

板野:そうです。実際にカットをフレーム単位で操作して、タイミングやレイアウトを修正して見せたりもしていましたね。カメラレンズの話もやりました。望遠の200ミリ、300ミリ、500ミリ、広角の24ミリ、28ミリ、34ミリの違いを見せたりとかね。3DCGソフトの場合、Mayaと3ds Maxでは同じ標準の50ミリでも見え方が微妙に違うじゃないですか。そういったことも意識しながら、画面を設計する必要があるのです。私が3DCGをやり始めた頃は、殆どの人がデフォルトの50ミリのままでやっていたので「なんでミリ数を変えないの?それじゃオモチャに見えるでしょ」というような話をよくやっていました。

野口:今もグラフィニカで、社内スタッフ向けに教えているそうですね。

板野:はい。グラフィニカではアドバイスに加え、作画や絵コンテの課題も出しています。添削日の3日前くらいに課題を伝えて、10分とか15分とかの短時間で描いてもらうのです。あまりカンニングをせずに、自分の中にある引き出しを頼りに描くよう伝えています。

野口:3DCGのアニメーターも手で描くのですか?

板野:そうです。絵は下手で良いからと言って描かせています。作画課題の場合は、動きの最初と最後の原画を渡して、その間の演技を考えながら中割りの絵を描いてもらうのです。例えば、殴りかかる前と殴った後の原画があるとしますよね。深く考えなければ、ストレートに殴る中割りを描くだけでしょう。でも、殴られる側が反撃して、それをかわしながら攻撃をしかけるといった見せ方だって可能なわけです。動きのセンスだけでなく、そういう演出を考える力を養うことも目的にしています。

野口:タイムシート(注 / コマ数やカメラワークを伝えるための表)も書かせるのですか?

板野:はい。ただし全員が毎回参加するわけではなく、アップ(納品)前の人は来ない場合もあります。今は北海道(札幌スタジオ)の新人が研修で東京(本社スタジオ)に来ていて、彼らも参加しています。

野口:北海道のスタッフは学校を卒業したばかりの新卒が多いそうですが、どんな仕事をなさるのですか?

板野:半年くらいの東京研修期間中に何とか45点くらいまで底上げして、北海道に帰ったら、東京と同じ仕事をやってもらいます。今手がけている映画『楽園追放 -Expelled from Paradise-』(2014年11月公開予定)の仕事だって、北海道組にもまわしていますよ。Skypeを使ったりして、東京と同じディレクターがチェックをして、フィードバックもしています。スキルがあって、地元でだったら仕事をやりたいという人は沢山いるので、彼らが東京と同じ仕事をしながら成長できるよう配慮しています。

野口:良い環境ですね。サンジゲンも京都スタジオを設立しましたし、最近は地方へと展開する会社が増えていると感じます。

板野 一郎 氏

板野:日本のアニメや文化が好きな人たちを、日本で育てていきたいですね。何よりも人が宝で、人を育てなきゃいけない。使い捨てにする会社はダメでしょう。そのことをグラフィニカはよく理解しているので、設立当初から一緒にやってきました。『ブラスレイター』の頃からのスタッフの中には、チーフクラスに育った人もいます。彼らが摩耗することなく、質の高い仕事ができるシステムを徐々に形にしてきました。例えばグラフィニカでは、作打ち(注 / 作画の打合せ)段階から3DCGのスタッフが先行してレイアウトを作る場合が多いです。それをガイドにして、作画の人に絵を描いてもらっています。

野口:作画の人に全面的にレイアウトを任せた結果、なかなか仕上げてもらえずスケジュールが押して、クオリティが下がる…というパターンはよくありますからね。

板野:そういうことはグラフィニカではやらせません。作画先行でレイアウトを切りたければ、スケジュール通りに仕上げてもらいます。それが出来ないなら、3DCGのガイドを守って描いてくれと伝えていますよ。

野口:結果的にはその方が全員にとってプラスになるはずですが、そうならない場合も多いですね。グラフィニカの場合、3DCGと作画のスタッフが両方とも社内にいて、板野さんの目も行き届くから実現できているのでしょうか?

板野:そうだと思います。私が教える人は、面接の段階から自分の目で見極めさせてもらっています。欲しいのは5人だけど、半分は辞めるだろうから10人入れるとか、そういう採用の仕方はしちゃいけないと思うのです。上手いか下手かではなく、何よりも打たれ強そうな人を採るようにしていますね。下手でも10年続ければ上手くなりますから、10年我慢できる人を見つけることが重要なのです。むしろ上手くて学校で一番だった人はチヤホヤされることに慣れているので、プロの現場でちょっと打たれると直ぐに辞めてしまう。『NARUTO -ナルト-』が好きで、『NARUTO -ナルト-』を描くのが夢だと言う人も採りませんね。描けた途端に辞めていきますから。

野口:そんな中で揉まれた門下生のなかから、次世代のアニメ業界を支える人が出てくると良いですね。

板野:最近の若い人たちの多くは家庭でペットみたいに可愛がられ、学校で家畜みたいな従順さを強制されて、真面目すぎる社会人になって出荷されてくる。彼らから見れば、私は狂犬病の野良犬だと思います(笑)。でも、政府もゆとり教育を廃止してくれたし、そろそろ私を越える人が出てくる頃合いだろうと期待していますよ。

板野 一郎 氏

Ichirou Itano

1959年生まれ。神奈川県出身。TVアニメシリーズ『機動戦士ガンダム』(1979〜1980年)に原画として参加。続く『伝説巨神イデオン』(1980〜1981年)のメカやミサイルの作画で注目を集める。『超時空要塞マクロス』(1982〜1983年)ではメカニック作画監督を担当し、アクロバチックな戦闘シーンは「板野サーカス」と称された。特技監督を務めたOVA『マクロスプラス』(1994〜1995年)から3DCGを意欲的に導入し始める。特撮映画『ULTRAMAN』(2004年)ではフライングシーケンスディレクターとしてVFXに携わり、作中の戦闘機などの表現に板野サーカスを導入。その後の『ウルトラマン』シリーズのTV番組にも3作続けて参加した。一方で、企画から監督まで手がけたTVアニメ『ブラスレイター』(2008年)のようなTVアニメでは、作画と3DCGを融合させた画作りに挑戦。現在は株式会社グラフィニカに所属し、同社の作画と3DCG、両分野の後進育成や指導に当たっている。

Supported by Enhanced Endorphin
INTERVIEWER_野口光一(東映アニメーション)
EDIT_尾形美幸(EduCat)
PHOTO_弘田 充
LOCATION 株式会社グラフィニカ 本社スタジオ

M&E COLLECTION

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著者

野口 光一

野口 光一

東映アニメーション
第二映像企画部 プロデューサー

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